マーカーは十番馬場跡です。
十番馬場
[馬場が1729年(享保14年)に芝から麻布に移転、十番馬場と呼ばれた。馬場移転に伴い馬市が立ち麻布十番は栄える。 (wikipedia・麻布より)]
十番馬場資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図左上・一ノ橋左方向に十番馬場が描かれ、十番馬場上の通りに此辺十番ト云と記述されています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 芝金杉ヨリ麻布白金御殿跡辺絵図(1741-1748年)」(コマ番号2/5・絵図四つ切左下、新堀川一橋上に「麻布十番馬場」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [8]拾七上(寛永元年・1848年)」(コマ番号5/5・絵図中央上に馬場が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [7]拾七上」(コマ番号64/214~76/214・絵図中央に馬場が描かれ、馬場周辺の町が麻布十番馬場町と記述されています。64/214の享保八卯(1723)年之形に馬場が描かれているので、馬場の移転は享保14年ではなく、正徳3年(1713年)~享保8年(1723年)の間では?。66/214の享保十四酉年(1729年)・同十五亥年之形で麻布十番馬場町と町家が描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (題箋)番地入東京市麻布區全圖(明治40・1907年)」(地図四つ切右下・古川上、新網町一丁目48-52番が十番馬場後になります。)
カメラ北方向道路両サイドに江戸時代十番馬場があり、通称十番と呼ばれていたようです。