和菓子 麻布青野総本舗

マーカーは和菓子 麻布青野総本舗です。

和菓子 麻布青野総本舗
[元禄年間から栄えていた、神田豊島町の飴(水飴)問屋 ”青野屋”を遠祖とします。
安政3(1856)年に麻布市兵衛町(現在の六本木1丁目の駅周辺)にて和菓子屋を創めたのが麻布青野の始まりです。
当時は大名下屋敷(六本木の地名は上杉朽木高木青木片桐一柳の6諸侯の下屋敷があったところからその名が付いたとか。)周りの方のご贔屓を受けながら、商売を営んできております。
麻布 青野総本舗弊社の包装紙の地図はその時代を感じさせます。
そして、明治20年今の場所、当時は麻布三河台町(現、六本木)に移ることになります。
昭和25年株式会社として改組。
創業以来160年以上にわたり和菓子一筋で一つ一つ丹精に、心をこめて
日々お客様お一人お一人にお喜び頂けるよう心掛けております。
当店の和菓子は歴代当主が精進して作られてきましたが、特に鶯もちは、 四代目 青野 平九郎の兄(青野平義・役者)が ”楽屋でも汚さず食べられる菓子を”ということで考案したことが始まりです。
あんを求肥で包み、きなこでまぶした菓子を竹皮で包装した 包装菓子を考案しました。
中の餅菓子は、顔に塗ったどうらん(化粧)が乱れぬよう、小ぶりな1口サイズの和菓子を2個にしました。
“鶯を たづね たづねて 阿左布まで”(松尾芭蕉が早春、梅の香りと、鶯の声に誘われて桜田、六本木、三河台と歩き詠んだとされる)に因み 、笹舟にねむる藪の夫婦鶯をイメージ(当時、宮中歌会始めの勅題は“船出”だった)して、お作りしております。  (「青野について | 和菓子 東京の老舗 六本木・麻布青野総本舗」より)]

青野総本舗 (あおのそうほんぽ) – 六本木/和菓子 [食べログ]

和菓子 青野総本舗 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が和菓子 麻布青野総本舗です。

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