小倉新田藩小笠原家上屋敷跡

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小倉新田藩小笠原家
[小倉新田藩(こくらしんでんはん)は、小倉藩の支藩。寛文7年(1667年)、小倉藩2代藩主小笠原忠雄の藩主就任時、弟の真方が1万石を領内に分与され立藩した。藩主家は参勤交代を行わない江戸定府の大名であった。明治2年(1869年)、千束(豊前市)に陣屋を構え(ちづかはん)と改称した。明治4年(1871年)、廃藩置県により千束県となる。  (wikipedia・小倉藩#小倉新田藩(支藩)より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図四つ切左下の中央付近に小笠原備後守(小笠原貞謙)上屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [10]拾七中」(コマ番号3/5・絵図中央左に小笠原備後守と描かれています。)

東京都立図書館アーカイブ – 東京市麻布区」(出版年-1911.8)[地図中央上・北日ヶ窪町の上、第三高等女学校(移転し現在の駒場高等学校、敷地は現在の六本木中学校)の辺りが小笠原備後守上屋敷、北日ヶ窪町の下、第三高等女学校下の崖から薮下までの間が毛利甲斐守上屋敷になり、第三高等女学校下の崖の辺りに環状3号線が通ることになります。]

カメラ北東方向が小倉新田藩小笠原家上屋敷跡に建つ六本木中学校です。(小倉新田藩小笠原家上屋敷跡範囲:港区六本木6丁目5,8,10)