広尾毘沙門堂(天現寺)

マーカーは天現寺です。

広尾毘沙門堂(天現寺)
[徳川家康公が江戸幕府を開いてから庶民がここに集まり、寺院も次第に数多く創建され初めた。享保の初め頃になると新たな寺院の建立は特別な理由のない限り許されなくなった。当寺は、たまたま小日向御簞笥町にあった臨済宗大徳寺末の普明寺を引継ぎ享保四年(1719)現在地に移築して多聞山天現寺と改め、新たな法幡を竪起することとなった。開山は広尾祥雲寺八世怡溪和尚の法嗣、良堂大和尚で、正徳三年(1713)祥雲寺住職となり、同六年紫衣を賜った。その後京都紫野大徳寺第二百九十三世の住職となり、享保四年(1719)当山開基、同年六月品川東海寺五十四世の輪住となり享保十八年(1733)四月二十九日遷化された。当寺は多聞山の山号が示すように、本尊として毘沙門天の像(樟の丸木作り、高さ103.5センチメートル)をおまつりしている。(秘仏の為、開扉日が定められている)毘沙門天は多聞山とも称され、四天王の御一人で降魔相を現じて仏国土衆生を守護する願誓を持ち又、七福神の中にも入れられ、民俗信仰の対象ともなっている。 (「多聞山天現寺ホームページ-縁起・由来」より)]

廣尾毘沙門堂資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図」(絵図右端中央下に毘沙門天天現寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 芝金杉より麻布白金御殿跡辺絵図 : 寛保延享之頃」(コマ番号6/7・絵図中央に「天現寺」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [10]拾七中」(コマ番号4/5・絵図中央右下方向に天現寺地が描かれています。天現寺橋笄川に架かっています。)

「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [9]拾七中」(コマ番号186/189・享保四亥年(1719年)之形の絵図上方向に普明寺地が描かれています。187/189・當時之形の上方向に天現寺地が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御放鷹御成御膳所圖」(コマ番号23/99・天現寺の絵図)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「廣尾毘沙門堂」(7-29)、「毘沙門天説明・左ページ左」(7-27)
広尾毘沙門堂(拡大図)

天現寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が広尾毘沙門堂(天現寺)山門です。

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