松本藩松平家中屋敷跡(東洋英和女学院)

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松本藩松平家
[戸田松平家は三河戸田氏の嫡流で、戸田宗家である(特に戸田宣光以降を指して、仁連木戸田家と称する)。江戸時代には康長が松平を称することを許されたため、戸田松平家ともいわれる。信濃国松本藩→播磨国明石藩美濃国加納藩山城国淀藩→信濃国松本藩と転封された。
支藩はなく、光永の相続時に弟2人(孫十郎光正、内蔵助光直)に5000石ずつ分知し、分家の旗本家2家が続いた。孫十郎光正の家を文殊戸田家、内蔵助光直の家を北方戸田家という。
明治時代には本家の大名家が子爵となった。最後の信濃国松本藩主光則は、命により戸田に復姓している。  (「wikipedia・戸田氏#康長の家系(戸田松平家、宗家)より)]

東洋英和女学院
[カナダ・メソジスト教会(現在のカナダ合同教会)婦人伝道会社から派遣された宣教師ミス・カートメルは、明治15(1882)年に横浜へ上陸、築地明石町に居を構え日本語の学習を始めた。その後日曜学校、バイブルクラスや若い女性の集会の指導を行なった。東京で宣教活動を続けるうちに当時の日本女性が教育を受ける機会に恵まれていない事に気づいた。
折りしも明治16(1883)年、カナダ・ミッション(カナダ・メソジスト教会伝道会社)のカックラン、マクドナルドの両氏が東京麻布に学校(男子校)の開設を計画しており、その建設予定地(東鳥居坂町13番地)の下には、ビール醸造場の跡地(同14番地)があった。
明治17(1884)年、ミス・カートメルはマクドナルドの協力を得て、東鳥居坂町14番地に東洋英和女学校を設立した。
東洋英和学校(男子校)は明治28(1895)年、普通科生徒によって麻布尋常中学校を設立した。明治33(1900)年9月には英和学校から分離、キャンパスを麻布本村町に移して麻布中学校となり、ミッションとの関係を薄めていった。この中学校が現在の麻布学園である。この時期に東洋英和女学校は、現在の鳥居坂の通りに面した場所に移転する。
東洋英和女学校の跡地は、明治末年には高木兼寛の所有になっていた。高木兼寛は薩摩藩士で海軍軍医総監に任ぜられ、後に現在の東京慈恵会医大を創立、貴族院議員等を歴任し、男爵も授けられている。
現在東洋英和女学院の建っている場所は、17世紀後半から明治維新までの間は戸田家の屋敷であった。その場所(当時の東鳥居坂町8番地)に明治33(1900)年、木造4階建ての新校舎が開校した。
昭和8(1933)年には、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計による校舎が完成した。ヴォーリズは明治学院大学礼拝堂など、日本各地で数多くの西洋建築の設計を手懸けた。
ヴォーリズ設計の新校舎は、スパニッシュミッション・スタイルが建築デザインの基調となっており、特に鳥居坂通りに面する西側正面の外観は、軒のスパニッシュ瓦、外壁の色付きセメント・スタッコ塗り壁を地とし、連続する半円アーチ形窓および出入口が様式的な特徴を表している。また外壁面の所々に配されたレリーフ、飾り窓の手摺り、建物前面を囲いフレアー状の曲面をつくり玄関に接続するロート・アイアンの飾り手摺り(金属類として戦中に供出)など装飾的意匠が表情豊かに配され、格調高い華やかさを添えていた。  (「麻布を語る会 「麻布未来写真館」分科会 平成22年度 … – 港区」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [8]拾七上(嘉永元年・1848年)」(コマ番号5/5・絵図中央に松平丹波守(松平光則)中屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [7]拾七上(嘉永元年・1848年)」(コマ番号141/214から150/214まで絵図中央に松平丹波守(松平光則)中屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図中央左方向・戸田孫十郎、戸田隼人正が松本藩松平家中屋敷になりますが、両家は戸田の分家と思われます。御府内場末往還其外沿革圖書は嘉永元年・1848年以前の図で、 麻布絵図は嘉永四年・1851年の図でいつから両分家が中屋敷地を使用していたか解かりませんが、幕府からは松本藩松平家中屋敷として拝領していたと思われます。)

東京市拾五区区分全図 第七 麻布区全図 – 特別区協議会」(地図四つ切右上・東鳥居坂町8・9番地が松本藩松平家中屋敷跡になり、ここが現在の東洋英和女学院で、その下方向13番地に東洋英和学校麻布尋常中学校、14番地に東洋英和女学校と記述されています。)

カメラ東方向が東洋英和女学院中学部・高等部です。(松本藩松平家中屋敷跡範囲:港区六本木5丁目14)