マーカーは賢崇寺です。
賢崇寺
[賢崇寺(けんそうじ)は、東京都港区麻布十番付近にある曹洞宗の寺で、二・二六事件の青年将校の墓があることで知られる。寛永12年(1635年)、鍋島藩初代藩主鍋島勝茂が疱瘡で亡くした息子の鍋島忠直を弔い建立した。当時江戸府内では寺院の新立が禁じられており、仙波氏菩提寺だった高輪正重寺を買収し、現在地に移すという手続きを取った。忠直の戒名「興国院殿敬英賢崇大居士」から興国山賢崇寺と号した。以降鍋島家の菩提寺として、歴代当主の遺骨が納められたが、明治には国許春日山に神道墓所ができ、十一代鍋島直大は青山墓地に埋葬されるなどしている。東京大空襲では境内のほとんどを消失し、本堂は昭和47年(1972年)4月、鐘楼は昭和50年(1975年)4月に再建された。
鍋島家関連の墓は31基あり、全て五輪塔である。当初葬られた鍋島忠直、その父で初代佐賀藩主鍋島勝茂、勝茂に殉った重臣30名、忠直の兄で小城藩初代藩主の鍋島元茂、九代藩主の鍋島斉直やそれらの妻が葬られている。十代藩主鍋島直正の墓もあったが、平成11年(1999年)春日山に移された。
賢崇寺参道口・wikipedia-photo
賢崇寺境内・wikipedia-photo
賢崇寺鐘楼・wikipedia-photo
賢崇寺本堂・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、賢崇寺の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・賢崇寺より)]
賢崇寺資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図」(絵図中央付近に賢宗寺(賢崇寺)と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 芝金杉より麻布白金御殿跡辺絵図 : 寛保延享之頃」(コマ番号3/7・絵図四つ切右下「善福寺」上に「賢宗寺(賢崇寺)」が描かれています。)
カメラ南南西方向が賢崇寺参道です