霞山稲荷明神(桜田神社)

マーカーは霞山稲荷明神(桜田神社)です。

霞山稲荷明神(桜田神社)
[源頼朝の命により、渋谷庄司重国が霞山(現在の霞ヶ関桜田門外)に祀ったことに起こるという。文治5年(1189)奥州征伐の奉賽として、源頼朝より30貫の田地を寄進された。この御神田の境界に桜を植えたところ、その桜が見事に咲き誇ったことから「桜田」と讃え、村の名も桜田村と称したとされる(ただし、桜田郷の名はすでに平安時代の『和名類聚抄』に見える。ともかく桜田は御田などと並んで江戸でも最も古い集落の一つであり、古くから鎮守として祀られていたことは間違いないだろう)。文明年間(1469~87)には太田道灌が社殿を再興し、太刀甲冑を奉納した。寛永元年(1624)、江戸の整備に伴い、氏子とともに霞ヶ関から現社地に遷った。江戸城桜田門は桜田郷の名に因む。また、現在の西新橋1丁目の一部(芝桜田)はかつての桜田村の一部であり、現在も桜田神社の氏子である。  (「櫻田神社 | 東京都港区 | 古今御朱印研究室」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図」(絵図左下方向・阿部播磨守下屋敷右上に「霞山イナリ 観妙寺」と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 芝金杉より麻布白金御殿跡辺絵図 : 寛保延享之頃」(コマ番号3/7・絵図左阿部飛騨守右下に描かれる「観妙院」が霞山稲荷明神です。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「霞山稲荷社」(7-27)、「霞山稲荷明神祠解説・左ページ2行目から」(7-25)
霞山稲荷社(拡大図)

櫻田神社(壽老神) – Google Map 画像リンク

カメ西北西方向が桜田神社参道です。

桜田神社拝殿前のカメラです。

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