三田用水(御馬橋跡)

マーカーは三田用水(御馬橋跡)です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

三田用水(御馬橋跡)
[現在の茶沢通り(起点 – Google Maps)はかつて流れていた森厳寺川沿いに戦後通された道路で、ザ・スズナリの先(Google Maps)からは折れ曲がって北上する。 間もなく傘履物村田屋と地蔵堂(北沢3丁目庚申堂)に突き当りクランクになるが、この地蔵堂の庚申塔は1677年と1692年のもの。 その先再び北に向かうと道は東に折れ曲がり、森厳寺川の暗渠(Google Maps)を横切る。
この暗渠を過ぎたところから馬場坂の上りになる。 坂の高低差は8mほどで現在はそれほどの坂には見えないが、昔は農家の人々が作物を荷車に載せて上るのに相当苦労したと伝えられる。坂の北側、井の頭通りの大山交差点近くに北沢小学校(Google Maps)がある。 ここは江戸時代、馬場だったところで、それが馬場坂の由来であろう。
坂の途中の辻に長命地蔵尊(https://goo.gl/maps/oqZhD6vRtXM2Google Maps)のお堂がある。 この付近の茶沢通り筋には200mおきに地蔵堂があって、古道であることを現在に残してくれている。ただこの長命地蔵尊は昔からの野地蔵を地元の人々が大正5年にここに祀ったもので、それ以前の場所は不明である。この地蔵の辻を北に入った辺りに、水車があったという。 川のない場所だが、坂上の丁字路になっているところには三田用水が流れていた。 佐伯医院がまだ角にあるが、そこが三田用水を渡る御馬橋で、その近くから坂下の森厳寺川へ水を流しており、その途中に水車があったようだ。  (「馬場坂(北沢): ぼのぼのぶろぐ」より)]

カメラ位置は御馬橋跡で、北方向、南方向に三田用水が流れていました。左角に「馬場坂(北沢): ぼのぼのぶろぐ」案内の佐伯医院があります。