三田用水路跡(白金台3丁目遺構)

マーカーは三田用水路跡(白金台3丁目遺構)です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

三田用水路跡(白金台3丁目遺構)
[三田用水は、江戸市街の拡大で増加した水の需要に応じるため、寛文4年(1664)に玉川上水の水を下北沢で分水したものです。
中村八郎衛門・磯野助六によって開かれたといわれ、代田、代々木、渋谷、目黒を経て現在の白金台、高輪、三田、芝地区に配水されました。享保7年(1772)に学者室鳩巣の意見で本所(亀有)青山千川の各上水とともに廃止され、江戸の街を潤す水道は玉川、神田の両用水だけとなりました。しかし、三田用水は流域の村々の農業用水でもあったので、嘆願して廃止の翌々年から再び水を引くことを許され、三田用水と呼ばれて一宿十三ヵ村の用水として使用されました。
当時の水道は自然に流れるだけでしたので、この付近では堤状に水路を残して通す工夫をしました。ほとんど失われてしまった三田用水路の貴重な遺構は、特に断面がわかるように残されています。また、水路の通っていた位置を示すための色違いのタイルを地上に並べて記念としています。
    昭和57年3月設置(平成19年2月立替) 港区教育委員会 ハイクレスト白金台管理組合  (「三田用水路跡 東京都港区白金台3丁目 – 墳丘からの眺め」より)]

白金台3丁目遺構図

「玉川上水系に関わる用水路網の環境調査 – 355p」より)]

絵図右中央で三田用水表示が終わっています。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(上絵図は江戸御場絵図からの切り取りコピーです。江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。)

三田用水路跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向階段右が三田用水路跡(白金台3丁目遺構)になります。

カメラ北西方向が三田用水路跡(白金台3丁目遺構)で、手前水路跡がコンクリートブロック歩道として残っています。

カメラ北西方向が水路跡がコンクリートブロック歩道終点です。(Google Maps)