マーカーは三田用水(駒場橋跡)です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
三田用水(駒場橋跡)
[石橋供養塔碑/旧道出口左角
この碑は正面に刻まれた「文か9年壬申 石橋供養 9月吉祥日」の銘より文化9年(1812)に建立されたことがわかります。正面上部には梵字が、下部には三田用水沿いの中目黒村、白金村、北品川村など13ヶ村の名が刻まれています。碑の右面には滝坂道沿いの若林村、経堂村、上祖師谷村など20余ヶ村の名、左面には建立に尽力した石工の名が刻まれています。この碑の前は、甲州街道に合流する古道「滝坂道」の一部にあたります。碑に刻まれた内容から約70m東(左手)の尾根筋を流れていた三田用水に架かる石橋に感謝し建立したものと推測されます。昔は2mに満たない用水路でも、悪天候では増水するなど交通の障害になりました。この碑に刻まれた村名が広範囲にわたることから安全に通行できる堅牢な石橋が人々の生活に極めて重要であったことをうかがうことができます。当初は橋の脇(現青葉台4-2-24付近)に建てられていたと考えられますが、昭和47年にこの地で発見され、マンション住人の方々により保存・修復されここに設置されました。(目黒区教育委員会) (「滝坂道を行く01 淡島 : TEIONE BLOG – 平山 貞一」より)]
「6 荏原郡目黒村全図(明治44年)」(リンクページの地図をクリックすると拡大画面が表示されます。地図中央上方向滝坂道に駒場郵便局が描かれています、そこを流れるのが三田用水で、三田用水に架かる橋が駒場橋です。駒場橋の左下に精米所があり、この付近に分水路口があったことがうかがえます。)
カメラ位置は駒場橋跡で、カメラ南南東方向、北北西方向が三田用水跡で、カメラ東方向、西方向が滝坂道です。カメラ西方向滝坂道を下り山手通り手前左のビル敷地に石橋供養塔碑が移設設置されています。また、カメラ南南東方向に駒場口分水がありました。
カメラ南東方向に石橋供養塔碑と案内板が設置されています。