上田藩松平(藤井)家中屋敷跡

マーカーは上田藩松平(藤井)家中屋敷です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP685・コマ番号386/553から上田藩屋敷の変遷について記載されています。P689・コマ番号388/553「中屋敷 浅草瓦町」がこの地になります。

松平忠礼
[松平 忠礼(まつだいら ただなり)は、嘉永3年(1850年)6月14日(異説として6月23日)、信濃国上田藩6代藩主・松平忠優(忠固)の三男として誕生した。兄が早世したために世子となり、安政6年(1859年)に父が急死したため家督を相続した。
しかし若年の相続のため、藩内抗争が激化する。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、明治新政府側に恭順して北越戦争会津戦争に出兵し、戦功により翌年に賞典禄3000石を下賜された。明治2年(1869年)6月、版籍奉還を経て上田知藩事となる。しかし8月16日には百姓一揆巳年騒動)が起こるなど、なおも藩内は混乱した。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で知藩事を免職される。
明治5年(1872年)から弟の松平忠厚と共にアメリカラトガース大学に留学した。忠礼は、アメリカの主要大学の卒業生の中から成績優秀者のみに与えられるファイ・ベータ・カッパ (Phi Beta Kappa) を受けている。  (wikipedia・松平忠礼より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図四つ切左上・大関信濃守、建部三之助上屋敷間に松平伊賀守(松平忠固)中屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書. 十四之二(天保十六年・1844年)」(絵図中央下方向に松平伊賀守(松平忠固)中屋敷が描かれています。)

カメラ位置は練成公園前で、公園中央から西側方向、神田白山線までが上田藩松平(藤井)家中屋敷跡になると思います。