五条天神跡(上野山下)

マーカーは五条天神跡付近です。

五条天神跡
[五條天神社旧社地跡
       台東区上野四丁目十番
この地は、五條天神社の別当、ならびに幕府の連歌宗匠を務めた瀬川家が寛永十五年(一六三八)より屋敷を構え、元禄十年(一六九七)から大正時代にかけては五條天神社が鎮座していた所である。
 五條天神社は薬祖神としての信仰をあつめた神社で、室町時代中期には上野山に鎮座していることが明らかな、区内でも有数の古社である。江戸初期までの鎮座地は、現在の上野公園摺鉢(すりばちやま)山上、さらには同公園南端付近(黒門脇)と伝えている。
 こうした遷座は、寛永二年(一六二五)以後の寛永寺諸堂の造営、同八年の摺鉢山上における清水観音堂建立など、寛永寺造営工事にからむものと思われる。
 元禄十年に五條天神社が当地(瀬川家屋敷)に移されると、やがてこの付近は「五條天神門前」という町屋が形成され、上野広小路の一角としてにぎわった。大正時代には、国鉄の敷設工事や関東大震災にともない、その都度付近への遷座を余儀なくされたが、昭和三年上野公園西端の地に社殿を新造し、現在に至っている。
 なお、「五條天神前」の名は「五條町」に改められた。五條天神の移転後もこの町名は存続したが、昭和三十九年の町名変更にともない「上野」の一部となった。
   平成十一年三月  台東区教育委員会  (「Google Map 画像」より)]

上野山下
[上野山下、たんに山下ともいうが、東叡山寛永寺のふもと一帯をさす俗称である。明治になって、正式に上野山下町という名称になった。現在の、東京都台東区上野駅構内から南口駅前のあたりである。江戸は火事が頻発したため、徳川家菩提寺である寛永寺を類焼から守るため、山下には火除地が設けられた。この広々とした空き地には、必要なときはすぐに取り払うという条件のもと、葦簀張の小屋で各種の商売をおこなうことが認められていた。そのため、見世物小屋、飲食店、講釈場矢場などが軒を連ね、多くの人出でにぎわった。なかでも、安永天明期にはケコロと呼ばれる女郎で有名だった。ケコロの値段は、銚子一本が付くチョンノマで二百。最盛期には、山下にはケコロを置いた見世が百七軒あったという。なお、ケコロという名称の語源は「蹴転ばし」ともいわれているが、さだかではない。  (「2009年06月12日の記事 | 武辺夜話 日誌 国是三論 天、地、ひと …」より)]

[上野山下といえば、両国浅草と並んで江戸を代表する盛り場です。山下の山とは、東叡山(寛永寺)のことで、東叡山の南東側一帯の区域が、俗に上野山下と呼ばれていました。
 この区域内には、広い火除明地も設けられ、その明地には、曲馬軽業浄瑠璃、見世物といった小屋がけの興行施設や、茶屋などの飲食店が数多く建てられました。火除明地とは、火事の際の延焼を食い止めるための明地ですが、設置後、歳月がたつとその本来の機能は軽視されていき、このような仮設の建物が江戸幕府の許可を得て建てられるようになりました。
 この明地に面した町々にも、飲食店が多く集まり、その一部は非合法の売春宿となっています。この町域の娼婦は「山下のけころ」と俗称されました。
 明地を挟んで町々の反対側には大通りがあって、その道端では、東叡山敷地を背にして、床店と呼ばれる露店が百十軒あまりも並んで商売をしていました。 (現在、JR上野駅の不忍口を出てアメ横の方へと道を渡るあたり、いわゆるガード下あたりが上野山下区域のほぼ中心にあたります。)
床店とは
 床店というのは露店の一種です。とこみせ、と読みます。色んな形の床店がありますが、一般には、板でできた簡単な屋根・壁・床を備えています。間口は1間から1間半くらいが多かったようです(1間は背の高い男性の身長くらい。1間半はそれプラス1メートル弱)。店の奥行きは3尺程度(1メートル弱)。かなり小さな規模の仮設的な店舗です。原則として居住は許されませんでした。  (「私の研究は面白いですか?」その3: 江戸をよむ東京をあるく」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 浅草御蔵前辺図

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「山下」(17-3)、「其二五條天神祠」(17-4)、「下谷岡解説・左ページ3行目まで」(17-2)
山下(「拡大図)

[上の山下(やました)の挿絵で、手前右から左へ少しジグザクに、「見せ物」、「曲馬」、「***」、「浄るり」、「講釈」、「薬や」、「ものまね」、「茶屋」、「茶や」、「あわもち」、「かるざわ」、「土弓」、「うなぎや」、「啓運寺」とあります。画面左上か右に「車坂」、「下寺通り」、「車坂口」があります。  (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之六 第十七冊」より)]
[図会左ページ左上に車坂、右ページ中央右端に車坂口が描かれています。[寛永寺の坂(車坂・屏風坂・信濃坂)])

其二五條天神祠(拡大図)

[図会左ページ下に五條天神が描かれています。]

日文研所蔵地図 – (内題)東京府武蔵国下谷区上野公園地及車坂町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)明治17(1884)」の写し図

[地図中央五條町の右に五条天神が描かれています。]

五條天神社旧社地跡 – Google Map 画像リンク

五條天神社旧社地跡案内板前のカメラです。

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