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不忍天神
[弁天堂-上野公園南側にある不忍池(しのばずのいけ)の中之島に天海が琵琶湖の竹生島の宝厳寺の弁才天を勧請して建立。島は常陸下館藩主水谷勝隆が築いたもので、当初は橋がなく、舟で参詣していた。当初の建物は入母屋造であったが昭和20年(1945年)3月の戦災で焼失し、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造の八角堂として再建された。
弁天島に建つ石碑によるとかつて上野台地と本郷台地の間を忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼んでおり、この地名にちなんで「不忍池」となったらしい。
不忍池と弁天堂・wikipedia-photo
(wikipedia・寛永寺より)]
[現在の上野公園の西南部にある池。かつて東京湾の入江であったが、平安時代ごろ入江が後退した際に取り残されて池となったとされる。寛永寺創建の際、寺の山号を比叡山にならって東叡山としたことにちなみ、この池を琵琶湖に見立てて、竹生島(ちくぶじま)になぞらえた中島を築造し弁天堂を創設した。名前は、忍岡(しのぶがおか)に由来するという説や、篠が生い茂って輪のようであった(篠輪津)という説など、諸説ある。特に夏季は美しい眺めで、文人たちにより小西湖(しょうせいこ)と唱えられた。蓮の名所で、茶屋では蓮飯を食べさせた。 (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「不忍池 (しのばずのいけ)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図」
(名所江戸百景・上野山内月のまつファイル:100_views_edo_089.jpg)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「不忍池中島弁財天社」(14-24)、「不忍池、中島弁財天解説-1・左ページ中程過ぎから」(14-21)、「中島弁財天解説-2・右ページ中程まで」(14-26)、「不忍池蓮見」(14-25)
不忍池中島弁財天社(拡大図)
不忍池蓮見(拡大図)
「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「己待忍ヶ岡弁天恭」(4-5)
己待忍ヶ岡弁天恭拡大図)
絵本江戸土産 – 不忍池池之端料理屋(拡大図)
絵本江戸土産 – 其二不忍池全図中島辨天之社(拡大図)
歌川広重・「新撰江戸名所」不忍池新堤防春景(ボストン美術館)
「江戸遊覧花暦」(不忍池)
「東都名所」(「上野山王山」、「上野山王山-2」、「上野山王山-3」、「不忍池」(2-18)、「不忍池解説-1・左ページ最終行から」(2-17)、「不忍池解説-2」(2-19)、「不忍池解説-3・右ページ4行目まで」(2-20)
「不忍池弁天堂 – Google Map 画像リンク」、「大黒天堂 – Google Map 画像リンク」、「上野公園ボート場 – Google Map 画像リンク」、「上野・不忍池 – Google Map 画像リンク」
カメラ西方向が不忍天神です。
不忍天神前のカメラです。
不忍天神八角堂のカメラです。
不忍池遊歩道・ボート乗り場付近のストリートビューです。
桜咲く不忍池遊歩道のストリートビューです
蓮池テラスからのカメラです。