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五條天神社
[医薬祖神 五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)は、東京都台東区の上野公園にある神社である。社伝によれば、日本武尊が東征のおりに大己貴命と少彦名命を上野忍が岡に祀ったものとされ、天神山(現摺鉢山)や瀬川屋敷(現アメヤ横丁入口)など、幾度か社地を転々とした後、昭和3年(1928年)9月に創祀の地に最も近い現在地に遷座された。また相殿の菅原道真公は、江戸時代に入り寛永18年(1641年)に合祀されたという。2010年は縁起による鎮座1900年を記念して、2011年に予定されていた三年おきの大神輿渡御を繰り上げた大祭が行われた。
境内社
●花園稲荷神社(忍岡稲荷神社)
祭神:倉稲魂命
歴史:この神社の創建年代については不詳であるが、五條天神社が移転してくる以前からこの地にあった神社である。
●穴稲荷神社 (wikipedia・五條天神社_(台東区)より)]
花園稲荷神社
[創祀不祥。
承応三年(1654)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、晃海僧正が、霊夢に感じ(家光の命とも言われている)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神としました。
正式名称は忍岡稲荷で石窟の上にあった事から穴稲荷ともいわれている。明治六年に花園稲荷と改名。
祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子で、伊勢神宮・外宮の神である。左奥の社は、上野・寛永寺建立時、忍岡の狐の居場所として洞を造り、祀ったという社である。
幕末、彰義隊の穴稲荷門の戦の場所としても有名。 (「江戸・東京歴史散歩ガイド – 花園稲荷神社」より)]
[花園稲荷神社は上野公園内にある稲荷神社です。赤い鳥居をくぐって境内に入ります。その途中に稲荷坂があり、案内もありました。そこには、『花園稲荷神社は「穴稲荷」、「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。これにより江戸時代から「稲荷坂」の名がある。享保17年(1732)の「江戸砂子」にその名がみ、明治29年(1896)の「新撰東京名所図会」には「稲荷坂 忍ヶ岡の西方に在りて、穴稲荷社へ出る坂路をいふ」とある。』と書かれていました。 (「稲荷坂(台東区上野公園)」より)]
五條天神社、花園稲荷神社資料リンク
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「其二五條天神祠」(17-4)、「五條天神宮解説・左ページ中程」(17-2)
其二五條天神祠(拡大図)
[図会は五條天神社が現在地に移転前の瀬川屋敷(現アメヤ横丁入口)で、左ページ下に五条天神が描かれています。]
「忍岡稲荷社」(14-32)、「忍岡稲荷社解説・左ページ中程」(14-33)
忍岡稲荷社(拡大図)
「五條天神社 – Google Map 画像リンク」、「花園稲荷神社 – Google Map 画像リンク」、「穴稲荷社 – Google Map 画像リンク」、「七福社 – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向が五條天神社表参道です。
カメラ東北東方向が五條天神社西鳥居です。
カメラ北方向が五條天神社拝殿で、カメラ北北東方向石段上方向が花園稲荷神社になります。また、カメラ東北東方向に手水舎があります。
カメラ西北西方向が花園稲荷神社鳥居です。
花園稲荷神社拝殿前のカメラです。