壬生藩鳥居家(下谷)上屋敷跡

マーカーは壬生藩鳥居家上屋鋪跡です。

関連リンク – 壬生藩鳥居家(番町)上屋敷跡壬生藩鳥居家中屋敷跡壬生藩鳥居家下屋敷跡鳥居坂

壬生藩鳥居家
[壬生藩(みぶはん)は、下野国都賀郡壬生に存在した藩。藩庁は壬生城(現在の栃木県下都賀郡壬生町本丸一丁目)。
正徳2年(1712年)若年寄鳥居忠英が3万石で入る。忠英は名君で、殖産興業政策を奨励し近江から干瓢の栽培を伝え、今日の干瓢国内生産8割を誇る栃木県の礎を築き、藩校である学習館を創設するなどして藩政の基礎を固めた。幕末期、壬生藩では尊皇攘夷をめぐっての争いが絶えず、文久2年(1862年)には勤王派が主導権を握って保守派の江戸家老・鳥居志摩が失脚の上、自殺させられた。ところが元治元年(1864年)に水戸藩天狗党の乱が起こると、今度は保守派が力を盛り返して勤王派を退けるなど、藩内は二分して大混乱した。戊辰戦争では新政府につくか、幕府側に与するかで混乱する中、ようやく新政府側に与して幕府軍と戦った。
明治4年(1871年)の廃藩置県で壬生藩は廃藩となる。  (wikipedia・壬生藩より)]

東京都立図書館アーカイブ – 東都下谷絵図(嘉永4[1851]/文久2[1862]改正)」[絵図四つ切左上に鳥居丹後守(鳥居忠宝)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図(嘉永四年・1851年)」(この絵図では、鳥居丹後守屋敷の場所が井上丹後守(高岡藩)上屋敷となっています。高岡藩の上屋敷はこの後、駿河台小川町の旗本本郷丹後守屋敷地に移転します。)

カメラ位置は上野三丁目交差点で、カメラ東方向道路両サイドが壬生藩鳥居家上屋敷跡になります。