旧上野寛永寺・時の鐘

マーカーは時の鐘です。

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旧上野寛永寺・時の鐘
[時の鐘 – 上野公園内、精養軒の近くにある鐘楼。現在ある鐘は天明7年(1787年)の作。
時の鐘・wikipedia-photo

  (wikipedia・寛永寺より)]

[花の雲 鐘は上野か 浅草か 
 松尾芭蕉が詠んだ句はここの鐘のことである。時の鐘は、はじめ江戸城内で撞かれていたが、寛永3年(1626)になって、日本橋石町三丁目に移され、江戸市民に時を告げるようになったという。元禄以降、江戸の町の拡大に伴い、上野山内・浅草寺のほか、本所横川・芝切通し・市谷八幡・目白不動・目黒円通寺・四谷天竜寺などにも置かれた。 初代の鐘は、寛文6年(1666)の鋳造。銘に「願主 柏木好古」とあったという。その後、天明7年(1787)に、谷中感応寺(現、天王寺)で鋳直されたものが、現存の鐘である。正面に「東叡山大銅鐘」、反対側には、「天明七丁未歳八月」、下に「如来常住、無有変易、一切衆生、悉有仏性」と刻まれている。現在も鐘楼を守る人によって、朝夕六時と正午の三回、昔ながらの音色を響かせている。なお、平成8年6月、環境省の、残したい「日本の音風景100選」に選ばれた。平成8年7月 台東区教育委員会  (「時の鐘 – カリヨン・センター 」より)]

「東都名所」(上野晩鐘)

寛永寺時鐘堂(時の鐘) – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向の鐘楼が時の鐘です。

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