長州藩毛利家中屋敷跡(檜町公園)

マーカーは檜町公園です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP721・コマ番号404/553から山口藩屋敷の変遷について記載されています。P723・コマ番号405/553「中屋敷 麻布龍土」「下屋敷 麻布龍土」がこの地になります。

長州藩毛利家中屋敷跡
[檜町公園(ひのきちょうこうえん)は、東京都港区赤坂にある港区立公園である。東京ミッドタウンに隣接する公園として知られる。面積は約14,011m²である。当地は江戸時代長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があったところで庭園は「清水園」と呼ばれ、江戸の大名屋敷の中でも名園のひとつとして知られていた。また周りに檜の木が多かったことから毛利家の屋敷は「檜屋敷」とも呼ばれ、後の「檜町」という地名の由来にもなった(公園の名もこれに由来する)。
明治時代になり毛利家の屋敷一帯は国の管轄に移り、第1師団歩兵第1連隊の駐屯地となった。第二次世界大戦後の一時期に米軍の接収を受け、その後敷地の大部分に防衛庁が設置される。残りの部分が檜町公園として整備され1963年に都立公園として開園。1968年に港区に管轄が移された。かつてはデモの集会などにも使われた。当公園は池を中心に遊具などが整った公園であったが、2000年に隣接する防衛庁(現:防衛省)が市谷に転出。その跡地に2007年に東京ミッドタウンが開発されたのを受け、当公園も再整備され景観が大きく変わった。隣のミッドタウン・ガーデン(東京ミッドタウンに付属している芝生広場)との調和が取れた開放的な造りとなった。
「檜町公園入口、写真奥がミッドタウン・ガーデン方向になる。(2009年1月撮影)」・wikipedia-photo  (wikipedia・檜町公園より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図」(絵図中央下・毛利大膳太夫中屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション - 赤坂溜池今井台麻布竜土青山辺一円絵図 : 天保元年(1831年)調」(絵図中央下・「松平大膳太夫」と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 赤坂今井谷青山渋谷麻布白銀広尾 : 享和之頃」(コマ番号3/6・絵図中央右に「松平大膳大夫」、その左に「鍋島甲斐守」、その左下に「伊達遠江守」(現国立新美術館政策研究大学院大学)と描かれています。)

東京図測量原図 : 五千分 – (内題)東京府武蔵国麻布区市兵衛町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央左・赤坂檜町、東京鎮臺歩兵営が長州藩毛利家中屋敷跡になります。)

長州藩主毛利家下屋敷跡碑 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が檜町公園入り口です。

カメラ位置は檜町公園東屋前で池越しの東京ミッドタウン・タワーです。

カメラ位置は芝生広場前のストリートビューで、カメラ北北東方向にアート遊具があり、カメラ東方向が東屋になります。

カメラ位置はミッドタウン・ガーデンで、カメラ南方向が東京ミッドタウンです。

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