公春院

マーカーは公春院です。

公春院
[公春院の正式名称は「満海山(まんかいさん) 公春院(こうしゅんいん) 千日寺(せんにちじ)」と申します。 当山が開かれたのは、今から400年程前、開山天台宗の晏清満海大行者(寛永四年1627示寂)で、修験者の僧坊(修験者が寝泊まりする宿)として建立され、延宝年間に当院三世円連社岳誉唯称上人梵冏和尚によって浄土宗に改宗されました。「千日寺」という寺号は開山満海大行者が比叡山での千日回峰行を満行したことに由来すると伝えられています。 以降、日光街道筋の下谷通新町公春院として現在に至ります。江戸時代中期の火災により縁起などは焼失してしまいましたが、震災戦災は免れ、寛延二年(1749)以降の過去帳をはじめとしていくつかの寺宝を現在に残しており、公春院の歴史を垣間見ることが出来ます。 現在も浄土宗念仏道場として教化につとめております。  (「公春院ホームページ – 寺の歴史」より)]

[地下鉄日比谷線三ノ輪駅の北,徒歩3分。もともとは修験者の僧坊として建立されたのに始まり、寛文10年(1670)の創建と言われているが、江戸時代の火災で寺の縁起などを消失したため明らかではない。かつては寺領として田畑も有していたが戦後の農地改革等により寺域は縮小された。現在の本堂昭和14年(1939年)の建築。以前は境内に樹齢500年を超えると言われた松の大樹があったが、昭和になって枯渇して今はない。この松は寺域に関する争いがあった際に寺の古い歴史を物語る証拠となったため「証拠の松」と言われたと伝えられている。また、寺では江戸時代の絵本着色仏涅槃図や太鼓を保存しており、荒川区の文化財に登録されている。  (「PORTAL TOKYO 東京ガイド 荒川区 公春院」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図右上・山谷掘右に公春院が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵図上左方向・山谷掘左に公春院が描かれています。)

公春院 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向・小路が公春院参道です。

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