マーカーは円通寺です。
円通寺
[円通寺(えんつうじ)は、東京都荒川区南千住にある曹洞宗の寺院。山号は補陀山。本尊は聖観音菩薩。この寺は寺伝によれば、791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野恩賜公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行っている。そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もある。
黒門・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、円通寺_(荒川区)の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・円通寺_(荒川区)より)]
[曹洞宗のお寺です。延暦10年(791)、坂上田村麻呂の開創と言われています。境内にある旧上野の黒門は、元々は上野の寛永寺に建っていたものです。慶応4年(1868)に彰義隊が新政府軍と戦った上野戦争の際の激しさを今も伝える弾痕が数多く残っています。この黒門は、円通寺の住職が彰義隊士の遺体を埋葬し供養をしたのが縁で、明治40年(1907)に移設されました。 (「円通寺 – 荒川区」より)]
[延暦10年(791)、坂上田村麻呂が開創したと伝える。また、源義家が奥州を鎮定したとき、討ちとった四十八の首を寺域内に埋めて塚を築いたので、このあたりと小塚原とよぶようになったという。江戸時代、下谷の広徳寺、入谷の入谷鬼子母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよばれた。秩父・坂東・西国霊場の百体の観音像を安置した観音堂があったことから「百観音」の通称で親しまれたが、観音堂は安政二年(1855)の大地震で倒壊した。境内には、石像七重塔、彰義隊士の墓、永仁四年(1296)銘をはじめとする板碑四基(区指定文化財)などがある。(荒川区教育委員会) (「猫のあしあと」より)]
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図右上・「観音堂」が「円通寺」です。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵図上左方向に「円通寺」が描かれています。)
「円通寺 – Google Map 画像リンク」、「旧上野の黒門 – Google Map 画像リンク」、「首塚・七重塔 – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向が円通寺山門で、山門奥に黒門があります。