山の宿の渡し跡碑

マーカーは山の宿の渡し跡碑です。

山の宿の渡し跡碑
[山の宿(やまのしゅく)の渡し
現在の東武鉄道隅田川橋梁の付近にあった渡し。渡しのあった花川戸河岸付近は「山の宿町」と呼ばれ、その町名をとって命名された。そのため「花川戸の渡し」と称されたり、東岸の船着場が北十間川の枕橋のたもとにあったので「枕橋の渡し」とも称される。渡船創設年代は不明だが、江戸時代中期には運行されていたと考えられる。浅草寺への参拝客や、墨堤の花見客などで賑わった。隅田公園内に渡し跡の碑がある。
山の宿の渡し(明治時代)・wikipedia-photo、山の宿の渡し跡石碑(隅田公園内 2007年9月)・wikipedia-photo  (wikipedia・隅田川の渡し山の宿(やまのしゅく)の渡しより)]

[所在地 台東区花川戸1-1 (隅田公園)
 隅田川渡船の1つに、「山の宿の渡し」と呼ぶ渡船があった。明治40年(1907)発行の「東京市浅草区全図」は、隅田川に渡船を描き、「山ノ宿ノ渡、枕橋ノ渡トモ云」と記入している。位置は吾妻橋上流約250メートル。浅草区花川戸河岸・本所区中ノ郷瓦町間を結んでいた。花川戸河岸西隣の町名を、「山ノ宿町」といった。渡しの名はその町名をとって命名。別称は、東岸船着場が枕橋橋畔にあったのにちなむ。枕橋は墨田区内現存の北十間川架橋。北十間川の隅田川合流点近くに架設されている。
 渡船創設年代は不明。枕橋上流隅田河岸は、江戸中期頃から墨堤と呼ばれ、行楽地として賑わった。桜の季節は特に人出が多く、山の宿の渡しはそれらの人を墨堤に運んだであろう。したがって、江戸中期以降開設とみなせるが、天明元年(1781)作「隅田川両岸一覧図絵」はこの渡しを描いていない。  平成4年(1992)11月 台東区教育委員会  (「東京都台東区の歴史 – 山の宿の渡し跡(隅田公園)」より)]

山の宿の渡し跡 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向・階段左に山の宿の渡し跡碑があります。

山の宿の渡し跡碑(Google Map 画像)

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