浅草寺(本堂)

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    このページでは浅草寺の本堂について紹介しています。

    浅草寺
    [浅草寺(せんそうじ)は東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は「金龍山」。本尊聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。
    浅草寺では勝海を開基、円仁中興開山と称している。天慶5年(942年)、安房守平公雅武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建といわれる。
    天正18年(1590年)、江戸に入府した徳川家康は浅草寺を祈願所と定め、寺領五百石を与えた。浅草寺の伽藍は中世以前にもたびたび焼失し、近世に入ってからは寛永8年(1631年)、同19年(1642年)に相次いで焼失したが、3代将軍徳川家光の援助により、慶安元年(1648年)に五重塔、同2年(1649年)に本堂が再建された。このように徳川将軍家に重んじられた浅草寺は観音霊場として多くの参詣者を集めた。
    貞享2年(1685年)には、表参道に「仲見世」の前身である商店が設けられた。これは、寺が近隣住民に境内の清掃を役務として課す見返りに開業を許可したものである。江戸時代中期になると、境内西側奥の通称「奥山」と呼ばれる区域では大道芸などが行われるようになり、境内は庶民の娯楽の場となった。天保13年(1842年)から翌年にかけて、江戸三座の芝居小屋が浅草聖天町(猿若町、現・台東区浅草六丁目)に移転し、そうした傾向はさらに強まった。
    本堂
    本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。
    内陣中央には本尊を安置する間口4.5メートル、高さ6メートルの宮殿(くうでん、「厨子」と同義)がある。宮殿内部は前の間と奥の間に分かれ、奥の間に秘仏本尊、前の間には「お前立ち」の観音像が安置される。宮殿の扉の前には「御戸張」と称する、刺繍を施した帳(とばり)が掛けられていて、時々デザインの違うものに掛け替えられている。毎年12月13日に開扉法要が行われ、短時間開扉されるほか、特別な行事の際などに開扉が行われる場合があるが、その際も参拝者が目にすることができるのは「お前立ち」像のみで秘仏本尊像は公開されることはない。宮殿の手前左右には脇侍梵天帝釈天像、宮殿の裏には秘仏本尊と同じ姿という聖観音像(通称裏観音)、堂内後方左右の厨子内には不動明王像と愛染明王像を安置する。
    2009年2月から2010年12月にかけて、「平成本堂大営繕」が行われた。屋根の葺き替えは昭和33年(1958年)の再建以来50年ぶり。宝蔵門の改修工事でも用いたチタン成型瓦を採用。使用色も2色から3色に増やし、より粘土瓦に近い風合いを醸し出している。
    本堂・wikipedia-photo

    夜の本堂・wikipedia-photo

    本堂外陣より内陣を見る。中央が秘仏本尊を安置する宮殿(くうでん)・wikipedia-photo

    名所江戸百景[歌川(安藤)広重](浅草金龍山・wikipedia-photo)

    ウィキメディアコモンズには、浅草寺浅草寺本堂の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・浅草寺より)]

    浅草寺ホームページ
    浅草寺境内図

    国立国会図書館デジタルコレクション – 御放鷹御成御膳所圖」(コマ番号53/99・浅草寺御成御膳所絵図)

    国立国会図書館デジタルコレクション - 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図

    浅草寺古図(寛永度造営)」[浅草寺古図では、本堂左上に東照権現が描かれています。]

    「国立国会図書館デジタルコレクション」 – 「浅草寺中建家之図

    江戸名所圖會. 卷之1-7 / 齋藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 畫圖」・「金龍山浅草寺全図共五枚」(16-5)、「其二」(16-6)、「其三」(16-7)、「其四」(16-8)、「其五」(16-9)、「六月十五日祭礼之図」(16-12)、「節分会」(16-13)、「十二月十八日年の市」(16-18)、「金龍山浅草寺解説-1」(16-4)、「金龍山浅草寺解説-2」(16-10)、「金龍山浅草寺解説-3」(16-11)、「金龍山浅草寺解説-4」(16-14)、「金龍山浅草寺解説-5」(16-15)、「金龍山浅草寺解説-7・左ページ10行目まで」(16-17)、「金龍山浅草寺解説-8・右ページ7行目から」(16-20)、「金龍山浅草寺解説-9」(16-23)、「金龍山浅草寺解説-10・左ページ左から7行目まで」(16-24)
    金龍山浅草寺全図共五枚(拡大図)

    其二(拡大図)

    其三(拡大図)

    其四(拡大図)

    其五(拡大図)

    十二月十八日年の市(拡大図)

    東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「浅草寺年の市」(5-23)
    浅草寺年の市(拡大図)

    絵本江戸土産 – 金龍山観音堂 奥山(拡大図)

    絵本江戸土産 – 浅草金龍山 境内桜(拡大図)

    「東都名所」(浅草金竜山年之市群集浅草金竜山年ノ市浅草金竜山下東橋雨中望浅草金竜山浅草金竜山-2浅草金竜山-3

    江戸名所之内 浅草金竜山弁天山之図

    江戸後期、浅草寺・観音堂前の写真です。

    手水舎 – Google Map 画像リンク」、「浅草寺 – Google Map 画像リンク

    カメラ北方向が浅草寺本堂です。

    浅草寺本堂階上のカメラです。

    浅草寺本堂内のカメラです。

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