浅草花川戸町

マーカーはカメラ位置です。

浅草花川戸町
[「花川戸」という言葉には江戸の臭いがプンプンする。「江戸八百八町に隠れのねえ 杏葉牡丹の紋付も桜に匂う仲の町、花川戸の助六とも、また揚巻の助六ともいう若いもの間近くよって面像おがみ、カッカッ奉れえ」と、威勢のよい歌舞伎一八番『助六』の口上である。 気っ風のいい伊達男の標本とでも言うべき助六が住んでいたのがこの花川戸だ。また江戸の侠客で旗本水野十郎左衛門と張り合って、だまし討ちにあった幡随院長兵衛もこの花川戸に住んでいた。明治19年に下谷区浅草区が出来たが、幡随院のある神吉町は本来下谷区であるべきところが、幡随院長兵衛は浅草でなければサマにならないと言うので浅草区になったとも言われている。花川戸は浅草を象徴する土地柄といえる。
この地は古くから町屋が開けていて、承応の頃(1652~55)にはすでに浅草寺領として奥州街道に商家が立っていた。昭和9年、町を整理統合して誕生した。1丁目は、浅草花川戸大部、馬道町4丁目東部、馬道町6丁目南側一部、山ノ宿町南隅を合した。 2丁目は浅草馬道町6丁目東部、猿若町1丁目南側一部、山ノ宿町大部からなった。  (「花川戸 – DTI」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション - 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図左下・大川橋右上に浅草花川戸町が描かれています。)

カメラ北方向が浅草花川戸町です。

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