満光寺

マーカーは満光寺です。

満光寺
[阿弥陀如来の光が満ちあふれる寺」という意味が、その名に込められている「満光寺」。浄土宗の寺院で、二葉山尾久院とも称されます。江戸時代に相次いで発生した水害によって詳細な歴史は失われてしまいましたが、当初は天台宗の寺院として南北朝末期から室町時代に建立されたと推測されています。浄土宗としては上野二葉村(現・台東区)の名主・二葉和泉守により開基され、上野不忍池付近にありましたが、寛永寺の造営の際に現在地に移転しました。
  境内には、永和元(1375)年銘や天文年間(1532~55)の6基の板碑(いたび、内4基は中庭にある)や、2基の庚申塔(こうしんとう)があり、永い歴史を感じさせます。板碑とは、故人の供養のための石造りの卒塔婆(そとば)のこと。鎌倉時代から江戸時代にかけて、主に関東・東北地方で作られました(庚申塔については、「荒川区再発見・町屋編」の「町屋の一本松跡」をご参照下さい)。また、満光寺は、「華蔵院(けぞういん)」(現・東尾久8丁目)に場所借りをして開校していた上尾久村初の小学校「私立田辺小学校」が明治15(1882)年に満光寺に分校を開校、後に「私立井上小学校」と改称し、田辺小学校と並んで現在の尾久小学校の前身となったことでも知られています。  (「荒川ゆうネットアーカイブ > 楽しむ > 荒川区再発見6「東尾久」> 満光寺」より)]

[天台宗であり、その創建は南北朝末か室町時代と伝えられます。浄土宗寺院としての開山は、智天上人。開祖は上野二葉村(現:台東区)名主二葉和泉守。上野不忍池付近にあったものが、寛永寺の造営でこの地に移転してきたと言われています。境内には、永和元(1378)年銘を始めとする板碑や庚申塔、二葉地蔵、二羽稲荷、二葉閻魔大王等があります。
画像リンク(満光寺全景二葉閻魔大王祠二羽稲荷)  (「荒川区ホームページ – 満光寺」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵図中央左方向「下尾久」上が「満光寺」と思われます。)

満光寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が満光寺山門です。

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