遍照院

マーカーは遍照院です。

遍照院
[遍照院は現在の浅草六丁目、葛飾北斎のいた当時と同じ場所にあり、 江戸時代には浅草寺を囲むようにして三十数カ所あった子院のひとつで、現在も子院です。 浅草寺の宗派で、浅草で唯一墓所があるのは、遍照院只一つです。元々は天台宗の寺院だった浅草寺が第二次世界大戦後の昭和25年(1950年)に”聖観音宗”として独立しました。
かつてこの寺は他の子院と同様に境内に長屋を建て、これを貸し出していました (当時これを「隠し町」と呼んでいました)。 ただし、今ではその敷地もわずかとなり、 門の向きも南から東へと変っています。ここには、葛飾北斎が一時住んでいたことがあるといわれておりますが、寺院内には、北斎についての一切の記録も、記念碑さえもありません。 ただし敷地のすぐ裏が山谷堀(現在は暗渠)であることからすれば、この場所は当時の本堂裏に 当たる位置であり、墓地もあり、おそらく北斎のいた長屋もこの近くにあったと思われます。
かつて遍照院の門は赤く塗られていたという記録がありますが、江戸時代にそれが赤い色だったか どうかまでは不明であり、雷門は赤くても、遍照院は観音様の子院で墓地があり、滅罪回向の場で あるからその門を赤く塗るのは比較的珍しいことです。
郷土史料には、葛飾北斎終焉の地・遍照院について、 「元堂前の赤門には字の金章を附し 本堂には龍及鶴の彫刻があった」 と記述されております。  (「金龍山 遍照院 | 寺院のご案内 | 浅草で100年 有限会社白田石材店」より)]

[葛飾北斎は、嘉永2年4月18日(1849年5月10日) 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没する。享年90。辞世の句は「人魂で 行く気散じや 夏野原」であった(#)。墓所は台東区元浅草誓教寺。法名は南牕院奇誉北斎居士。  (wikipedia・葛飾北斎より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [45]貮拾貮下」(コマ番号10・地図右上に遍照院が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図」(絵図下方向・浅草寺と山谷掘の間に遍照院が描かれています。)

遍照院 – Google Map 画像リンク

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