伊雑大神宮(天祖神社)

マーカーは伊雑大神宮(天祖神社)です。

伊雑大神宮(天祖神社)
[「天祖神社」(八丁堀3-6-6)は宝橋の東南に位置する。江戸時代には「伊雑(いそべ)大神宮」とよばれて、『江戸名所図会』にも描かれている由緒ある神社である。現在はと由来碑だけが立っているだけで、町内会が管理している。碑文の由来によると、「志摩国答志郡伊雑荘の伊勢皇大神宮(伊勢神宮内宮)別宮である伊雑宮寛永元年(1623)5月上旬、東へ下り武蔵国豊嶋郡江戸日本橋通三丁目へ間口10間、奥行12間の社地を賜わり、間口3間、奥行5間の御社を建立した。その後、寛永10年(1633)6月下旬、八丁堀松屋町(現在地辺り)に300坪を賜わり旧社を取り崩し再建した」とある。『江戸名所図会』には「このところを磯辺横町と呼べリ、土俗、磯辺太神宮」とあり、神社の正月風景を挿絵にしている。元宮の伊雑宮は三重県志摩郡磯辺町に鎮座していることから、「イゾウグウ」とか「イソベさん」とよばれている。名所図会では「伊雑」「磯辺」の表記で、「いそべ」と読みを振っている。  (「中央区観光協会特派員ブログ」より)]

[伊雑(いそべ)太神宮――北八町堀松屋橋(松幡橋)より一町ばかり艮(うしとら=北東)の方、塗師町代地・町屋の間にあり(当社あるゆえに、このところを磯辺横町と呼べリ)土俗、磯辺太神宮。御神は天照皇太神宮(てんしょうこうたいじんぐう)の別宮にして、祭神は伊佐波登美命(いさはとみのみこと)と玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)の二座なり。寛永元年(1624)伊勢伊雑宮から移し、通り三丁目に営む、同10年(1633)いまの地に移す。例祭は6月26日に修行する。  (「八丁堀周辺 歴史案内〈八丁堀その1〉 – nifty」より)]

東京都立図書館アーカイブ – 文久再鐫八町堀霊岸島日本橋南之絵図(文久3[1863]再刻)」(絵図中央右方向・松平越中守の左に「磯部大神宮」が描かれています。]

呉国立国会図書館デジタルコレクション – 服橋御門外ヨリ鍛冶橋御門外日本橋京橋川筋限八丁堀箱崎霊岸島辺一円絵図

国立国会図書館デジタルコレクション – 八町堀細見繪圖(文久2 [1862])」(絵図四つ切左・松平越中守上屋敷左方向に「磯辺大神宮」と描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「伊雑大神宮」(2-26)、「伊雑大神宮解説・右ページ3行目から」(2-27)
伊雑大神宮(拡大図)

狂歌江都名所図会 – 伊雑宮(拡大図)

カメラ北北東方向が伊雑大神宮(天祖神社)です。

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