マーカーは新川の跡碑です。
新川の跡碑
[所在地 中央区新川一丁目地域
新川は、現在の新川一丁目三番から四番の間で亀島川から分岐し、この碑の付近で隅田川に合流する運河でした。規模は延長約五百九十メートル、川幅は約十一メートルから約十六メートルと、狭いところと広いところがあり、西から一の橋、二の橋、三の橋の三つの橋が架かっていました。
この新川は、豪商河村瑞賢(ずいけん)が諸国から船で江戸へと運ばれる物資の陸揚げの便宜を図るため、万治三年(一六六〇)に開さくしたといわれ、一の橋は北詰には瑞賢が屋敷を構えていたと伝えられています。当時、この一帯は数多くの酒問屋が軒を連ね、河岸にたち並ぶ酒蔵の風景は、数多くのさし絵や浮世絵などにも描かれました。
昭和二十三年、新川は埋め立てられましたが、瑞賢の功績を後世に伝えるため、昭和二十八年に新川史跡保存会によって、「新川の碑」が建立されました。
平成六年三月
中央区教育委員会 (「新川の跡 – Monumento(モニュメント)」より)]
「新川の跡碑(中央区新川) – 散歩の時に見つけた! – Gooブログ」
「東京都立図書館アーカイブ – 文久再鐫八町堀霊岸島日本橋南之絵図(文久3[1863]再刻)」[絵図下中央、松平越前守(福井藩)中屋敷の右上方向に「太神宮」が描かれている。「太神宮」の左水路が新川です。]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 呉服橋御門外ヨリ鍛冶橋御門外日本橋京橋川筋限八丁堀箱崎霊岸島辺一円絵図 (天保九・1838年)」(絵図中央左・新堀川上が新川になります。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「新川酒問屋」(2-29)、「伊勢太神宮解説・右ページの右側」(2-31)
新川酒問屋(拡大図)
狂歌江都名所図会 – 新川・鎧の渡(拡大図)
絵本江戸土産 – 新川 新堀 霊巌島(拡大図)
カメラ南東方向に新川の跡碑で、その左に案内板があります。
新川の跡案内板(Google Map 画像)