マーカーは新川大神宮です。
新川大神宮
[新川大神宮は、慶光院周清上人が寛永2年(1625)二代将軍徳川秀忠から江戸代官町に屋敷を賜り、邸内に伊勢両宮の遥拝所を設けられたのに始まり、其後明暦3年(1657)江戸の大火で類焼したので、この年替地を霊岸島に賜り社殿を造営しました。酒問屋の信仰が篤く(新川大神宮の由来は、伊勢内宮の社僧慶光院所蔵古文書「慶光院由緒」並に江戸名所図会に詳しい。当地は河村瑞軒が隅田川に通ずる水路を開いて舟揖の便に利するに至って新川と称し、当宮を中心として酒問屋櫛比し殷賑を極め今日に至るまで酒類の一大市場となった。)、第二次世界大戦で罹災後も、昭和27年に全国の酒問屋からの協賛を得て再建し、現在に至っています。 (「猫のあしあと – 新川大神宮」より)]
「東京都立図書館アーカイブ – 文久再鐫八町堀霊岸島日本橋南之絵図(文久3[1863]再刻)」[絵図四つ切右下・松平越前守福井藩中屋敷右上方向に「太神宮」が描かれている。]
「国立国会図書館デジタルコレクション」 – 「呉服橋御門外ヨリ鍛冶橋御門外日本橋京橋川筋限八丁堀箱崎霊岸島辺一円絵図」
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「新川酒問屋」(2-29)、「新川大神宮」(3-30)、「伊勢太神宮解説・右ページの右側」(2-31)
新川酒問屋(拡大図)
新川大神宮(拡大図)
カメラ北東方向が新川大神宮で、新川大神宮は新川に面していた。