日本橋高札場跡

マーカーは日本橋高札場跡碑です。

日本橋高札場跡
[札場の起源は確かでないものの、延暦元年(782年)の太政官符に官符の内容を官庁や往来に掲示して、民衆に告知するように命じた指示が出されている。以後、武家政権でも同様の方法が取られている。
だが、これを最も良く用いて全国的な制度として確立したのは江戸幕府及び諸であった。
高札制度の目的としては、
  1.新しい法令を民衆に公示する。
  2.民衆に法の趣旨の周知徹底を図る。
  3.基本法である事を明示する(違反者は「天下の大罪」であるとして、違反者は死罪などの重い刑に処せられることが多かった)。
  4.民衆の遵法精神の涵養を図る。
  5.民衆からの告訴(謂わば密告)の奨励(特にキリシタン札(切支丹札)などには高額の賞金が掲げられた)。
  6.幕府や大名の存在感の誇示。
などが挙げられる。
主な代表的な高札としては、寛文元年(1661年)の5枚の高札(撰銭、切支丹、火事場、駄賃、雑事)や正徳元年(1711年)の5枚の高札(忠孝、切支丹、火付、駄賃、毒薬)、明治維新とともに新政府から出された五榜の掲示などがある。  (wikipedia・高札より)]

狂歌東都花日千兩 – 富士眺望(拡大図)

東京都立図書館アーカイブ – 文久再鐫八町堀霊岸島日本橋南之絵図(文久3[1863]再刻)」(絵図絵図四つ切右上に日本橋、その左に御高札が描かれています。)

カメラ西北西方向が日本橋高札場跡で碑には日本橋の由来が書かれています。

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