晒し場跡

マーカーは滝の広場(晒し場跡)です。

晒し場跡
[日本橋高札場跡から長旅が始まるわけであるが、高札場跡とは道路を挟んだ向かい側、現在交番が建っている辺りが江戸時代には罪人の晒し場であったことを知る人は少ないと思う。晒し場とはいっても獄門台があった訳ではなく、晒しは罪人が一定期間繋がれて本来の刑罰に付加される刑罰のひとつで、人目に晒される一種の恥辱刑だった。
歌川広重東海道五十三次「日本橋朝之景」にも晒し場が僅かに描かれているとの指摘がある。早速確かめると、画面右下に描かれている木戸の裏側、犬の前半身が隠れた辺りが晒し場なのだそうだ。
江戸時代の刑法は一罰百戒、晒し場や刑場、獄門場は見せしめの為に人通りが多い場所を選んで設置されていた。
勿論、全ての処刑が江戸町民の前で実行されたわけではなく、伝馬町牢屋敷内の仕置場で密かに刑が執行されたことのほうが多いことを申し添えておく。  (「東海道あるき旅を終えて(14) お江戸日本橋と晒し場 念ずれば … 」より)]
 
晒し(さらし)
[人通りの多い場所に罪状を書いた高札などと共に長時間放置される刑罰。心中の未遂や生き残りの本来の刑罰は非人手下だが、その前に晒されるのが普通だった。
「不義密通により公衆にさらされる男女『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版」・wikipedia-photo  (wikipedia・刑罰の一覧より)]

東京都立図書館アーカイブ – 文久再鐫八町堀霊岸島日本橋南之絵図(文久3[1863]再刻)」(絵図絵図四つ切右上に日本橋が描かれています。)

カメラ東北東方向が滝の広場で、この付近が晒し場跡になります。

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