マーカーは智泉院(茅場町薬師)です。
智泉院(ちせんいん=茅場町薬師)
[寛永12年(1635)山王御旅所(日枝神社)を拡張して薬師如来が安置され医王山智泉院を建立、茅場町薬師と呼ばれた。縁日の植木市は「江戸名所図会」にある。現在も境内にある手水鉢は区有形民俗文化財。現在地は中央区日本橋茅場町1-5-13。
◆平成6年3月、中央区教育委員会設置の説明板は以下のとおり
智泉院――鎧島山(がいとうさん=のちに医王山)智泉院(天台宗)の本尊薬師如来は、平安時代中期の恵心僧都(えしんそうず=源信)作と伝えられ、山王御旅所(現・日枝神社)内にあった。明治時代の廃仏棄釈(きしゃく)などの影響もあって、現在、この薬師如来は川崎市の等覚院に安置されている。智泉院は「茅場町薬師」の名で広く知られた名刹で、縁日には植木市も開かれ、江戸庶民のあつい信仰を集めた。
瑠璃殿前の手水鉢は、天保12年(1841)に本尊が開帳されたのを記念し、奉納されたもので、銘には当時の坂本(現・日本橋兜町)という町名や町に住んでいた人々の名が刻まれている。鋳出した釜屋七右衛門は通称釜七といって、江戸では有名な鋳物師。この手水鉢は当時の賑わいを現在に伝えるものとして、中央区民文化財に登録されている。 (「八丁堀周辺 歴史案内〈茅場町・兜町〉 – nifty」より)]
[茅場町の日枝神社御旅所境内にあった薬師堂は、本尊薬師瑠璃光如来、慈眼大師(天海)の勧請と伝えた。有名な俳人宝井其角は、この薬師堂の南隣に住んでいた。
薬師の縁日は月の八日と十二日で、縁日には、近在の植木屋が多種多様の植木を持ち寄って賑やかな植木市が立った。
薬師如来は、衆生の病患を救い、無明の痼疾(こしつ)を癒すという如来様。堂の周辺には、眼病平癒を祈る「めの字の額」がたくさん掛っていた。 (「中央区立図書館 – 13.中央区名所名物句集五了 安藤菊二輯(PDFファイル:907.84 KB)」より)]
「東京都立図書館アーカイブ – 文久再鐫八町堀霊岸島日本橋南之絵図(文久3[1863]再刻)」(絵図中央右方向に山王御旅所と薬師堂が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「薬師堂縁日」(2-24)、「永田馬場山王御旅所、薬師堂解説-1・永田馬場山王御旅所解説右ページ左から3行めから、薬師堂解説-1左ページ左から3行目より」(2-19)、「薬師堂解説-2・左ページ左から6行目まで」(2-25)
薬師堂縁日(拡大図)
狂歌江都名所図会 – 薬師堂・茅場町(拡大図)
狂歌江都名所図会 – 薬師堂・植木店(拡大図)
カメラ北東方向、右に智泉院、左に瑠璃殿があります。