玉円寺

マーカーは玉円寺です。

玉円寺
[八丁堀現存唯一の仏教寺院。江戸時代初期に八丁堀三丁目あたりに起こり、後に現在地に移転。  (wikipedia・八丁堀_(東京都中央区)より)]

[亀島山玉円寺、八丁堀現存で唯一の寺社。八丁堀は寺町からはじまった。当初は現京華スクエア辺りにあったがその後現在地に移転した。八丁堀の七不思議に「寺あって墓なし」はこの寺を指すようだ。浄土真宗。現在地は中央区八丁堀1-8-3。  (「八丁堀周辺 歴史案内〈八丁堀その1〉 – nifty」より)]

[私道に相当する新道(しんみち・じんみち)が多くあった。裏道などの比較的狭い通りで、多くの商人が店が並べた。幕末期の八町堀細見絵図に両新道が記載されている。当時の大通りと玉子屋新道に挟まれた地に玉円寺があった。玉子屋新道は、その名の通り大きな玉子屋があり、屋根屋新道(家根屋新道とも)は屋根を葺く職人たちが集まっていたという。幕府から公認された道は「横町」といった。現在地は中央区八丁堀3-153-16付近。  (「八丁堀周辺 歴史案内〈八丁堀その1〉 – nifty」より)]

[享保年間(1716~1736)からの古い通りが今も残っている。玉子屋新道、屋根屋(*家根屋の表記もある)新道、上大通りがそれだ。上通りは現在の八丁堀2丁目西と3丁目西町会の間の通り、屋根屋横町は3丁目17番と16番の間の通り、玉子屋新道は3丁目15番と16番の間の通りをいう。古老の言に、13番の角に大きな玉子屋があったとか。  (「わが町八丁堀 八丁堀三丁目西町会誌 – nifty」より)]

資料リンク

上大通りと玉子屋新道の間右端に移転前の玉円寺が記述されています。  「新作八丁堀ピ組屋敷図 – 国立国会図書館デジタルコレクション」より

東京都立図書館アーカイブ – 文久再鐫八町堀霊岸島日本橋南之絵図(文久3[1863]再刻)」(絵図中央左方向に玉圓寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 八町堀細見繪圖(文久2 [1862])」(絵図左方向に「大通リト云」、その左に「玉子ヤシンミチ」、その左に「ヤネヤシンミチ」が描かれ、「大通リト云」と「玉子ヤシンミチ」の間に「亀島山 玉圓寺」と描かれています。)

玉円寺 – Google Map 画像リンク

カメラ南南西方向が現在地の玉円寺です。また左の仁成堂ビルが明治に入り馬場の薬屋と言われた「仁成堂」が営まれていた場所で、馬場の通称はこの北側に亀島川に注ぐ側堀を埋め立て町奉行所調馬所があったことによる。

カメラ西北西方向が玉子屋新道で、カメラ方向右に玉円寺があったと思われます。

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