マーカーは高橋です。
高橋
[亀島橋の次が高橋、そして最後が南高橋です。亀島川河口の南高橋は、震災復興事業の一環として昭和7年(1932年)に架けられた新しい橋で、本来の河口に架かっていたのはその手前の高橋でした。正保年間(1644~48年)の架橋といわれ、船の出入りを考慮した橋台の高い橋という文字通りの意味です。 (「神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!: 亀島橋・高橋」より)]
資料リンク
「東京都立図書館アーカイブ – 文久再鐫八町堀霊岸島日本橋南之絵図(文久3[1863]再刻)」(絵図左下に「高橋」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション」 – 「呉服橋御門外ヨリ鍛冶橋御門外日本橋京橋川筋限八丁堀箱崎霊岸島辺一円絵図」(絵四つ切左上・「稲荷橋」「高橋」が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「佃島其二湊稲荷神社」(2-36)[図会中央下に湊稲荷神社、富士塚が、神社左に稲荷橋が、その左に高橋が描かれている。また、湊稲荷神社の亀島川左岸・高橋の右に描かれているのは御船手向井将監の屋敷と思われる。]
カメラ位置は高橋の中央部で、亀島川左岸が将監河岸で将監番所があり、高橋北東詰に徳船稲荷神社(現在は一橋下流の南高橋東詰にある。)があった。