マーカーは多武峯内藤神社です。
多武峯内藤神社
[当社は、新宿御苑の東隣にある。もともと、この辺りは、江戸時代内藤家の下屋敷のあった場所となる。さかのぼること、江戸時代、徳川家康は入府の後、譜代の家臣内藤清成(ないとうきよなり)と青山忠成(あおやまただなり)の二人を呼びよせてこう言い渡した。「馬で駆けまわっただけの土地を与える」と。清成の乗った駿馬は南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷と広く走り回ることに成功したが、駿馬は、疲れ果てて死んでしまう。その為、馬は大樫の木の下に埋めることにする。その後、内藤家は屋敷のかなりの部分を江戸幕府に返納するが、文化13年(1816年)には、内藤家の森林の管理役となった中家休昌・木下正敷は、この樫の古木の下に駿馬の石碑を残し、功労を讃える。これが、当社境内にある駿馬塚の始まりとなる。そして、広大な屋敷の内には内藤氏が藤原秀郷の末流であったことから、藤原氏の氏神である大和の多武峯神社を勧請、また藤原氏の氏神である奈良の春日大社より分霊を歓請し、合祀、その屋敷神とした。これが現在の多武峯内藤神社の始まりとなり、当初は、現在の新宿御苑内にあったが、その後、現所在地に遷座し、現在に至る。 (「神社人 – 多武峯内藤神社」より)]
「多武峯内藤神社 – Google Map 画像リンク」、「駿馬塚 – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西方向が多武峯内藤神社参道です。
多武峯内藤神社境内のカメラです。
多武峯内藤神社拝殿前のカメラで、カメラ東方向・神馬殿左方向の樹木左に駿馬塚があります。