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成子天神社
[成子天神社(なるこてんじんじゃ)は、東京都新宿区西新宿にある神社。 境内に高層の分譲マンション・賃貸マンション・神社施設を新たに建築。右の写真(画像リンク)に見られる仮殿から新しい社になった。
創立は延喜3年(903年)。当時、菅原道真が死去し嘆き悲しんだ家臣が道真の像を大宰府から持ち帰り祀ったのが始まりであるという。その後鎌倉時代、源頼朝により社殿が造営された。しかし江戸時代に入り寛文年間に起きた火災によりそれまでの記録や社宝などが焼失してしまい、現在地に移転。その後第二次世界大戦中にも空襲により社殿が焼失している。1966年に鉄筋コンクリート製の社殿を造り現在に至る。付近が新宿新都心の高層ビル街に変わった現在も、周辺の人々から信仰を得ている。
祭神は菅原道真。
境内末社
●大鳥神社 – 祭神は日本武尊。
●鳴子稲荷神社 – 祭神は宇迦之御魂命。
●浅間神社 – 祭神は木花咲耶姫命。
文化財
●富士塚(成子富士) – 神社境内にある富士塚。高さは約12メートルで大正9年(1920年)に作られたもの。新宿区内では最大規模。山頂には木花咲耶姫命の像がある。2011年3月11日の地震により北側斜面に落下し、浅間社前に立て直された。また道の途中には七福神が祀られている。普段は非公開で正月7日間のみ参拝・登攀できる。2010年には富士塚がパワースポットとしてメディアで取り上げられ、毎日数十人の参拝者があったことから、5月頃以降公開された。2011年3月の地震災害に伴い公開を取りやめ、8月ころ公開を再開(塚の頂部には青ビニールシートがかけられ、登頂可能なのは大黒天まで)したが、参拝者はほとんどいなかった。工事用の塀が作られ9月末には立ち入れなくなった。新宿区指定有形民俗文化財。「再生プロジェクト」では、富士塚周囲一帯および北参道は27階建てマンションの建築確認対象面積に含めるための地役権が設定されている。
●力石 – かつて例祭などの余興に人々の力くらべなどで使われた石。新宿区指定有形民俗文化財。
「参道入り口。この鳥居などは工事のために撤去された。2011年2月15日撮影」・wikipedia-photo (wikipdia・成子天神社より)]
[延喜3年(903年)の創建であるといわれ、祭神は菅原道真です。建久8年(1197年)に源頼朝が社殿を造営したといわれていますが、詳しいことは不明です。寛文元年(1661年)に現在地に移転し、柏木・成子地区の鎮守となりました。社殿のわきに新宿区指定文化財の7個の『力石』があります。秋の大祭には村の若者たちが力くらべをしたといいます。石には重さと持ち上げたと思われる人の名前が刻まれています。また境内奥には、新宿区登録史跡の『富士塚』があり、七福神めぐりができます。もと天神山という小山があり、それを大正9年に改造したものです。「丸藤成子講」という講組織が、柏木地区を中心に活動していましたが現在は活動を中止しています。 (成子天神社 – 新宿観光振興協会より)]
「成子天神社ホームページ」
成子天神社境内図
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [20]拾九貞」(コマ番号5・切絵図右下中央に天満宮敷地が描かれ、左上方向が百人組同心大縄地(屋敷地)になっています。「組屋敷道 南町」が職安通り、「組屋敷道 仲町」が大久保通りと思われます。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(絵図右上隅下に天満宮が描かれています。)
カメラ北北東方向が表参道です。
カメラ北北東方向が鳥居と神門です。
カメラ南方向が北参道で、参道右に浅間神社があります。
カメラ北方向が成子天神社拝殿です。
成子天神社拝殿前のカメラです。