マーカーは千川上水遊歩道(三郡橋)です。
千川上水遊歩道
[都道7号線の「境橋交差点」付近から始まる「千川上水」沿いにもうけられた遊歩道。千川上水は江戸時代に玉川上水から分水された水路で、当時は飲料水として、そして灌漑用として利用された歴史がある。現在は、水路に沿ってケヤキやイロハモミジ、コブシなどの並木が整備され、コイやフナなどの魚も生息する豊かな自然環境となっている。歩道として地域の住民が通行するほか、ベンチが設置されている場所もあるため、休日には散策を楽しむ人の姿も見られる。 (「千川上水遊歩道(千川橋付近)|武蔵野市エリアガイド|住みたい街が …」より)]
[広大な民間運動場を過ぎ、関前橋交差点まで来ると、右岸前方が大きく開けます。第二次世界大戦終戦まで、中島飛行機株式会社武蔵野・多摩製作所が戦闘機のエンジンを製造する轟音をとどろかせていた一帯で、現在は広場や高校などが建ち並ぶ、武蔵野市の広域グリーンエリアに様相を一変しています。バス停「電通裏」あたりから、千川上水は右に大きく弧を描き、閑静な住宅街に流を変えます。傍らに立つ標識には「取水口から2・5KM」と記されています。開渠区間のちょうど中間点です。この中間点を過ぎ、最初に架かる橋が「三郡(みごおり)橋」です。かつての新座郡上保谷新田、北豊島郡関村、北多摩郡関前村の三郡が隣接した場所に架けられていたことから、この橋名があります。
三郡橋を過ぎ、千川上水遊歩道の対岸の区道を下流に少し進むと、左側に「練馬区」の標識が立っています。その手前から左に緩やかに弧を措いた細い路地が青梅街道方向へ続きます。この路地が西東京市と練馬区との境界線で、かつてあった「関村分水」跡でもあります。昔、上水本流から水田潅漑用に引かれたのが「分水」で、天明4年(一七八四)に作成された「関村絵図」 (井口敏氏所蔵)には、千川上水から「溜井」 (現・練馬区立武蔵関公園の富士見池)まで横一線に結ばれた関村分水が描かれています。この絵図から、当時の関村分水は三郡橋付近から取水され、現在の武蔵関公園富士見池付近の石神井川まで流れていたことが推測できます。
関村分水跡を過ぎると、千川上水は自動車の往来が頻繁な三鷹通りに架かる「更新橋」下を潜ります。この更新橋の練馬区関町南四丁目寄り、桜の老木の傍らに青面金剛像を祀った庚申塔があります。『千川上水の今と昔』(練馬区古文書研究会編・平成三年発行)によると、この庚申塔は以前は三郡橋近くの武蔵野市域に置かれていた、とのことです。 (「千川上水現況調査報告(平成16年3月発行)(PDF:7820KB) – 練馬区」より)]
カメラ位置は関前5丁目交差点です。(Google Maps)
カメラ位置は柳橋交差点です。(Google Maps)
カメラ位置は井口橋・武蔵野大学前交差点です。(Google Maps)
カメラ位置は三郡橋です。
カメラ位置は更新橋で右岸が歩行者専用になっています。(Google Maps)
「更新橋の庚申塔 – Google Map 画像リンク」「千川上水案内図 – Google Map 画像リンク」
カメラ位置は北裏橋です。(Google Maps)
カメラ位置は武蔵野市管理の千川上水遊歩道終点(吉祥寺橋)です。(Google Maps)
「吉祥寺橋 – Google Map 画像リンク」