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東福院
[慶長16年(1611)麹町9丁目横町に創建されたが、寛永11年現地に移った。「御府内寺社備考」に依れば、門前町屋があって
当門前町屋起立の儀は同寺麹町9丁目より寛永11年当所へ替地被下置境内惣坪数1934坪半有之候内160坪門前町屋相建申度旨元文5年正月中大岡越前守様奉願候処年月不知10ヶ年季町家御免被仰付其後年代不知町御奉行御支配に相成右年明けの度に奉願候
開山は祐賢法印、開基は天正3年大沢孫右衛門尉(寛永5年歿、98歳)中興は第21世先住良真本尊は不動明王で、寺宝には約700年前位の作だという弘法大師の御木像である。丈1尺5、6寸である。(四谷南寺町界隈より) (「猫のあしあと」より)]
[愛染院と向かい合わせにある真言宗・東福院の入り口の右手に「豆腐地蔵」が立っている。全高一〇七センチメートルの石の地蔵である。 豆腐地蔵の名の由来には、次のような伝承があります。
昔この付近に、よこしまな心をもった豆腐屋がいました。毎晩豆腐を買いにくる坊さんがいたが、豆腐屋が代金を竹筒に入れておくと、翌朝これがシキミの葉になっています。さては、狐か狸が坊さんに化けていたずらをしているのであろうと考え、こらしめに手を切ってしまいました。豆腐屋が血痕を追ってみると、東福院の門内に入って、この地蔵のところまで続いています。豆腐屋は坊さんの正体が地蔵であると知って後悔し、それからは心を入れ替えて正直な商売をしたということです。 (東福院 | 一般社団法人新宿観光振興協会より)]
東福院坂
[坂の途中にある阿祥山東福院に因んでこう呼ばれた。別名の天王坂は、明治以前の須賀神社が牛頭天王社と称していたため、この辺りが天王横町と呼ばれていたことによる。新宿区教育委員会 平成十年十月 (「東福院坂[天王坂](新宿区若葉)」より]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(絵図中央左方向に東福院が描かれています。)
カメラ位置は東福院坂の坂上で、カメラ南南西方向が東福院坂で、坂左に標柱があります。
カメラ北西方向が東福院で、玄関右に「豆腐地蔵」があります。
東福院「豆腐地蔵」前のストリートビューです。
カメラ位置は東福院坂の坂下で、カメラ北北東方向が東福院坂で、坂左に標柱があります。