マーカーはカメラ位置です。
川村修富関連リンク – 雉子橋御用屋敷跡(川村修富生地)、川村修富・修就屋敷跡
[川村修富は下谷東同朋町肴店横丁の深尾八太夫組御徒西郷小四郎拝領地所在の家作へ転居し、寛政7年(1795)川村修富に待望の長男・釜五郎(修就)誕生。寛政9年(1796年)川村修富は御休息御庭之者支配に昇進します。御庭之者支配に任命された御庭番家筋の者は桜田御用屋敷内にある御長屋(一戸建て官舎)を拝借できることになるので、拝借願いを提出。 「旗本の経済学」より]
[「国立国会図書館デジタル – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図中央上・下谷廣小路左下に下谷同朋町拝領町屋と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 十四之二」(コマ番号2/3、3/3・地図中央左下付近・廣小路右上に下谷同朋町拝領町屋と記述されています。)
カメラ位置は松坂屋本館南東交差点で、この周辺に下谷同朋町拝領町屋があった。