老中屋敷跡(東京中央郵便局・JPタワー)

マーカーはJPタワーです。

老中屋敷跡(旧東京中央郵便局敷地・JPタワー)
[学校法人山脇学園が所有する武家屋敷門は、江戸時代末期に、現在の千代田区丸の内(東京中央郵便局付近)に建てられたものです。当時この辺りは大名小路(こうじ)と呼ばれ、老中職の役屋敷がありました。文久2年(1862)年の大火で類焼した後、老中本多美濃守忠民三河国岡崎藩5万石の藩主)によって、直ちに再建された屋敷門であると伝わります。  (「武家屋敷門 – 詳細情報 : 東京都文化財情報データベース」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図(嘉永2年版・1849年)」

[絵図中央左下方向・松平和泉守(三河国西尾藩松平乗全上屋敷)が老中(1845年 – 1855年、1858年 – 1860年)職役屋敷になります。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 一
[図書ページ53/130・元禄11年(1698年)以前では安藤対馬守(安藤重博・老中)、54/130・元禄11年では土井周防守(土井利益・土井家再興)、55/130・享保6年(1721年)では土井大炊頭(土井利実)、明和9年(1772年)では土井大炊頭(土井利里)、56/130・文化3年(1806年)、文化15年(1818年)では土井大炊頭(土井利厚・老中(1802年 – 1822年))、57/130・文政8年(1825年)、文政13年(1830)、58/130・天保5年(1834年)では松平和泉守(松平乗寛・老中(1822年 – 1839年))、天保15年(1844年)では水野越前(水野忠邦・老中(1828年 – 1843年、1844年 – 1845年))、59/130・当時之形(文久元年・1861年)では本多美濃守(本多忠民・老中(1860年 – 1862年、1864年 – 1865年))と記述されています。]

東京図測量原図 : 五千分一 – (内題)東京府武蔵国麹町区八重洲町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央右上・「司法省」が老中屋敷跡です。)

カメラ南南東方向が老中屋敷跡(旧東京中央郵便局敷地)に建つJPタワーです。