一橋徳川家浜町下屋敷跡

マーカーは一橋徳川家浜町下屋敷跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP932・コマ番号510/553から一橋徳川家屋敷の変遷について記載されています。P937・コマ番号512/553「下屋敷 濱町」がこの地になります。

[一橋殿。徳川家。旧封一万石 
この下屋敷は寛政十年(一七九八)八月十日に拝領した。『藩邸沿革』に、
一、下屋敷、浜町、拝領、寛政十年八月十日。添地拝領同年十二月廿五日。振替、文化五(1808)年三月。坪数四千六百拾五坪。
府内沿革図書、寛政十年八月堀田相模守(下総国佐倉藩堀田正順)屋敷土ケ地、民部卿屋敷ニ被進。同所、西続、間部主水(旗本本所間部家間部詮綽)屋敷被召上、添地被進、一屋敷ニ成。文化五年辰年三月、東之方大川端道敷共囲込二被成、西之方有来之道之側、少し引下り、南北脇通り境之振替、新道出来云々。
一橋家記録、寛政十午年八月十日御屋敷ニ成、同廿三日渡、元堀田大蔵大輔下屋敷三千四百坪余、同年十二月廿五日御添地ニ成、同十一未年二月二六日渡、元間部主水屋敷千弐百拾四坪、総坪数四千六百十五坪。 (市史稿四給—— – 九三七頁)  (「16.切絵図考証三 安藤菊二(PDFファイル:985.47 KB)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内沿革図書. 第一篇下」(コマ番号248/284「明和八(1771)年之形」で左ページ、左下間部隠岐守(旗本本所間部家間部詮之)、堀田相模守(堀田正順)屋敷地が一橋徳川家浜町下屋敷になります。コマ番号249/284「文化五年之形」で民部卿殿と記述されています。コマ番号250/284「当時(天保九年・1838年)之形」で屋敷地が大川端まで描かれています。コマ番号251/284「当時(文久元年・1861年)之形」で一橋付屋敷と記述されています。)

国際日本文化研究センター – 日本橋北内神田兩國濱町明細繪圖(安政6・1859年)」(絵図四つ切右下・大川端に一橋殿下屋敷が描かれています。)

カメラ位置は浜町運動場北角交差点で、交差点周辺を含み、カメラ南西方向道路を含む両サイドが一橋徳川家浜町下屋敷跡になると思います。