マーカーは柳森神社です。
柳原稲荷
[長禄2年(1458年)太田道灌が江戸城の鬼門除として現在の神田佐久間町一帯に植樹した柳の森に鎮守として祭られたのがはじまりとされ、万治2年(1659)に神田川堀割の際に現在地に移りました。柳の樹も堀の土手に移植され、江戸の名所になりました。境内の福寿社は「お狸さん」とよばれ、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が江戸城内に創建したといわれています。境内の13個の力石群が千代田区の有形民俗文化財に指定されています。 (千代田区観光協会ホームページより)]
[太田道潅が江戸城を築いた際、現在の神田佐久間町辺りに柳を植えて鬼門除けの柳の森とした。その鎮守として祀られたことを創祀とする。万治2年(1659)、神田川の築堤のため現社地に奉遷。新橋の烏森神社・日本橋堀留町の椙森神社とともに江戸三森と称された。境内社の福寿社は5代将軍綱吉の母・桂昌院が信仰していた福寿神(狸)の像を祀る。狸に「他抜き=他に抜きんでる」という意味をかけ、立身出世や勝負事・金運向上の利益があるとして信仰を集める。かつては八百屋の娘から将軍の生母になった桂昌院にあやかりたいという女性たちに崇められた。当初は江戸城内に祀られていたが、後に旗本の瓦林邸内に移され、明治維新に際して柳森神社で祀られるようになった。 (「柳森神社 | 東京都千代田区 | 古今御朱印研究室」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」[絵図中央上部・和泉橋左に柳原稲荷が描かれている。]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「柳原堤」(1-60)、「神田川解説・左ページ中程」(1-55)
柳原堤(拡大図)
[絵図は上段と下段では方向を変えて描かれている。上段は和泉橋から浅草橋方向。下段は柳原稲荷を南方向から描いています。]
「柳森神社 – Google Map 画像リンク」、「福寿神(おたぬきさん) – Google Map 画像リンク」、「富士講関係石碑群 – Google Map 画像リンク」、
カメラ北方向が柳森神社鳥居です。
柳森神社鳥居内のカメラで、カメラ西方向が神楽殿で、その右に本殿、カメラ北方向に金毘羅社、カメラ東南東方向に富士講関係石碑群があります。
柳森神社拝殿前のカメラです。