マーカーは八戸藩南部家深川下屋敷(蔵屋敷)跡です。
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[八戸藩は、創立の時、江戸幕府の裁定により二万石とされたが、八戸周辺の石高が不足のため、紫波の米所、上平沢、稲藤、土舘、片寄の四ヶ村を飛び地として与えられ、五千石が追加された。そこで八戸藩は、志和に代官所や御蔵を置いてこの地方を支配することになった。この八戸領志和からも、志和御蔵を通じて江戸への廻米が行われるようになった。
八戸藩の江戸屋敷は、上屋敷が麻布市兵衛町(現六本木一町目)、中屋敷がその向い、下屋敷が麻布新町(現南麻布五丁目、盛岡藩下屋敷の向かい)にあった。送られた米などの物資は、いったん深川富岡町の八戸藩蔵屋敷(現江東区二丁目、富岡八幡宮の隣の永代寺の真後ろにあり、永代橋付近の掘り割りから入る)に荷揚げされ、そこから各屋敷に送られた。 (「五、八戸藩領志和御蔵の廻米と舟運 – 日本財団 図書館」より)]
「国際日本文化研究センター – 本所深川繪圖(安政5・1858年)」(絵図上中央左上・富岡八幡宮右に南部遠江守(南部信順)下屋敷が描かれています。)
カメラ位置は和倉橋交差点で、カメラ北方向道路を含む両サイドが八戸藩南部家深川下屋敷(蔵屋敷)跡になると思います。