小名木川(小名木川クローバー橋)

マーカーは小名木川クローバー橋です。

小名木川
[小名木川(おなぎがわ)は、東京都江東区を流れる人工河川である。旧中川から隅田川を結ぶ運河で、途中横十間川大横川と交差する。小松橋と新扇橋の間には扇橋閘門が設置されており、閘門より東側は地盤沈下が激しくゼロメートル地帯の顕著な地域のため水位を1m下げている。
1590年頃、江戸城を居城に定めた徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。しかし江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの東京湾北部は砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回するしかなかった。そこで小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが始まりである。運河の開削によって経路が大幅に短縮された。
塩以外の運搬や、成田参詣客なども運ぶようになって物量が増大した。1629年小名木川は江戸物流の重要河川と認識され、利根川東遷事業と併せて拡幅、小名木川と旧中川、新川の合流地点には「中川船番所」が置かれた。新川、江戸川利根川を経由する航路が整備されると、近郊の農村で採れた野菜、東北地方年貢米などが行き交う大航路となった。
開削とほぼ同時期に、川の北側を深川八郎右衛門が開拓し深川村が、慶長年間に川の南側は、埋め立てられ海辺新田となり、以降、江戸時代を通じて埋め立てが進んだ。やがて小名木川を中心に竪川や大横川、横十間川、仙台堀川などの整備が進み、重要な運河の一つとして機能した。
明治時代に入ると、水運を利用した諸工業が盛んになり一帯は工業地帯となった。1930年には荒川放水路が完成したが、これに伴い荒川や旧中川、新川の合流地点には「小名木川閘門」「小松川閘門」「船堀閘門」が設置されていた。
昭和50年代には地盤沈下などにより閉鎖されたが、2005年に「荒川ロックゲート」が完成し、旧中川を経由して荒川への通行が可能になった。
名称の由来
この川を開削した「小名木四郎兵衛」の名からとった。
小名木川クローバー橋
当川および横十間川に架設されている歩行者・自転車専用橋。延長140.5m。幅員4.8m – 12.8m。1994年12月に供用を開始した。
中央部で十字に交差しており、北西岸は江東区猿江2丁目、北東岸は同区大島1丁目、南東岸は同区北砂1丁目、南西岸は同区扇橋3丁目にそれぞれ位置している。
進開橋から見た小名木川・wikipedia-photo、「小名木川全体の空中写真。西の隅田川から東の旧中川を直線で結ぶ。(1984年撮影の6枚より合成作成)。」・wikipedia-photo、名所江戸百景「中川口」・wikipedia-photo、名所江戸百景「小奈木川五本まつ」・wikipedia-photo  (wikipedia・小名木川より)]

小名木川資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図

南本所竪川辺之地図 / 村上吾雄 誌」・「bunko01_01855_p0001.jpg

[名所江戸百景・深川萬年橋(小名木川河口)wikipedia-photo, 小奈木川五本まつwikipedia-photo,中川口wikipedia-photo]

小名木川クローバー橋乗船場 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は小名木川で、カメラ東方向が小名木川クローバー橋です。

カメラ位置は小名木川クローバー橋で、カメラ西、東方向が小名木川です。また、カメラ北、南方向が横十間川です。

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