熊本藩細川家下屋敷跡(六万坪)

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深川六万坪町
[起立:1710(宝永7)年(江東区は1711(正徳元)年としている)
廃止:1869(明治2)年
後身:深川豊住町
現町名:江東区東陽六丁目
概要:築地町24か町の1つ。六万坪築地の西部に起立した町。1710(宝永7)年と1711(正徳元)年に山形屋利兵衛・豊田屋源助が買い請け、家作が許された。1713(正徳3)年、町奉行支配となり、1766(明和3)年、一円が肥後熊本藩細川越中守の抱屋敷となった(備考)。化政期(1804~1830年)の家数4軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、深川豊住町に編入となり消滅。現行の東陽六丁目のうち。  (「【深川②】深川六万坪町 | 江戸町巡り」より)]

[一橋家十万坪と呼ばれる南、現在の東陽6,7丁目あたりは宝永7年(1710年)より、開発が進み、六万坪町・石小田新田ができる。江戸の塵芥で埋め立てる。石小田新田は、石川・小柴・豊田という3名の開拓者の名前から。  (「東京下町散歩 江東区 (6):木場・東陽エリアへ – 時空散歩」より)]

東京都立図書館アーカイブ – 本所深川絵図(文久2[1862]改正)」(絵図上中央左・細川越中守(細川韶邦)下屋敷が描かれ、その左に六万坪ト云と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 深川十万坪ヨリ中川海手迄 : 天保一一(1840)年八月ノ形」(コマ番号3,4/4・絵図中央に六万坪築地 細川越中守町屋敷、その上に石小田新田 細川越中守抱屋敷と記述されています。)

カメラ位置は四ツ目通り/仙台堀川で、カメラ南南東方向一帯が六万坪で、道路右側が熊本藩細川家下屋敷跡になると思われます。