久留里藩黒田家下屋敷跡

マーカーは久留里藩黒田家下屋敷跡です。

関連リンク – 久留里藩黒田家上屋敷跡久留里藩黒田家下屋敷跡(椿山荘)

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP701・コマ番号394/553から小島藩屋敷の変遷について記載されています。P704・コマ番号396/553「下屋敷 本所石原 本所区横網町一丁目」がこの地になります。

黒田直和
[黒田 直和(くろだ なおやす)は、上総久留里藩の第8代藩主。久留里藩黒田家9代。
生涯
文政2年(1819年)6月21日、第6代藩主・黒田直侯の妾腹の長男として江戸で生まれる。
天保9年(1838年)7月に父の養嗣子として第7代藩主となっていた黒田直静の養子となり、弘化3年(1846年)12月に従五位下、大和守に叙位・任官する。
嘉永元年(1848年)10月に淡路守に遷任する。
嘉永7年(1854年)に直静が死去したため家督を継いだ。6月27日に豊前守に遷任する。
安政2年(1855年)6月、直質(なおただ)から直和へと改名した。
安政5年(1858年)6月、伊勢守に遷任する。
幕末の動乱期に中で、文久3年(1863年)からは治安が悪化する江戸市中の取締役に任じられ、4月には大坂城山里丸加番に任じられた。そのほかにも外国船に備えて海防強化に努めている。
慶応2年(1866年)4月2日、病気を理由に家督を養子の直養(養父・直静の甥)に譲って隠居し、剃髪して松閣と号した。
明治9年(1876年)1月9日、浅草の鳥越別邸で死去した。享年58。  (wikipedia・黒田直和より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所大川ヨリ横川辺右石原北割下水迄 : 天保一一(1840)年八月ノ形」(絵図左下・大川右に黒田豊前守(黒田直静)と描かれています。)

東京都立図書館アーカイブ – 嘉永新鐫本所絵図(安政2[1855]改正/文久3[1863]改)」(絵図上中央・黒田伊勢守(黒田直和)下屋敷が描かれています。)

カメラ位置は墨田区横網2丁目7南西T字路で、カメラ東南東方向道路を含む両サイドが久留里藩黒田家下屋敷跡になると思います。