出羽松山藩酒井家本所下屋敷跡

マーカーはカメラ位置です。

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酒井忠良
[酒井 忠良(さかい ただよし)は、出羽松山藩7代藩主。左衛門尉酒井家分家7代。6代藩主・酒井忠方の長男。
弘化2年(1845年)10月20日、父の隠居により跡を継いだ。戊辰戦争では本家の庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦った。しかし明治元年(1868年)9月に降伏する。同年12月7日、幕府側に与した処罰として2万5000石から2500石を召し上げられて2万2500石となり、12月15日には家督を三男の忠匡に譲った上で強制隠居処分に処せられた。  (wikipedia・酒井忠良_(出羽松山藩主)より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所大川ヨリ横川辺右石原北割下水迄 : 天保一一年八月ノ形」(絵図中央右上、大澤右京大夫、織田伊勢守抱屋敷が、この後出羽松山藩酒井家下屋敷になります。)

東京都立図書館アーカイブ – 嘉永新鐫本所絵図(安政2[1855]改正/文久3[1863]改)」(絵図四つ切右上・酒井大学頭(酒井忠良)下屋敷が描かれています。)

カメラ位置は墨田区東駒形3丁目25地先T字路で、この付近が出羽松山藩酒井家下屋敷跡になると思います。