大横川(業平橋)

マーカーは業平橋です。

大横川(業平橋)
[業平橋(なりひらばし)は、大横川(現、大横川親水公園)に架かる橋で、墨田区業平1丁目より吾妻橋3丁目を結ぶ浅草通りを通す。創架は寛文2年(1662年)と伝えられ、『新編武蔵風土記稿』(巻之二十四、葛西郡之五)には、「業平橋 横川に架す、長七間幅二間の板橋なり寛文二年伊奈半十郎奉行して掛渡せり、業平天神の社辺なるを以て其名とす」と記されている。現在の橋は昭和5年(1930年)に架設されたもの。
この橋の名の由来となった業平天神社(現存せず、現、吾妻橋3丁目6番)は、南蔵院(現、葛飾区水元、昭和元年に転出)の境内にあった神社である。江戸時代初期に開かれたといわれ、その由緒は、在原業平が亡くなった場所に建てられた業平塚に由来する(『江戸名所記』)といわれるが、業平塚については、力士成川運平の墓が業平の墓に転じたという説(『遊歴雑記』)、里見成平の墓という説(『本所雨やどり』)など諸説あり、『江戸名所図会』には「当社の伝説粉々として詳らかならず。」と記されている。歴史研究者の石川悌二は「業平天神の由来は定かではないが、業平塚と里人がよんでいた塚は古くからこの地にあって、考古学の鳥居龍蔵博士はそれを上代の舟形式古墳であると推定した。要するに伝承が伝承を生んで業平天神の社祠が建立されたものであろう。」と推測している。業平天神社および業平橋は周辺地域の地名の由来となっている。  (wikipedia・業平橋_(墨田区)より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所横川ヨリ亀戸迄 : 天保一一年八月ノ形」(絵図左下・横川に業平橋が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図」(絵図中上・横川に業平橋が描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「業平天神祠」(18-77)、「業平天神社・中郷八幡宮・第六天祠説明」(18-78)
(拡大図)

[図会下に第六天八幡宮、空間処理のその上に南蔵院、右端に業平天神が描かれ、図会に描かれていませんが、そこの右方向に大横川(業平橋)があることになります。なお、南蔵院(関東大震災で罹災し移転、現在地・葛飾区東水元2-28-25)、業平天神、第六天八幡宮(所在不明)すべて現在存在していません。]

業平橋上のカメラです。

カメラ位置は大横川親水公園で、カメラ南方向が業平橋です。

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