マーカーはかみなか庚申塔です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年で見ると、かみなか庚申塔のある場所は、「西原」の「西」の下方向、五差路にあることになります。
かみなか庚申塔
[“庚申塔”、”享和四子年二月吉日”、”中臺村講中 新田前拾人”銘。
右面に、”右 にしたい とくまる”銘。
左面に、”左 ねりま 大山みち”銘。
年代:享和四年(1804) (「若木1-7(かみなか庚申塔) ( 東京都 ) – HIROSE99のブログ – Yahoo!ブログ」より)]
[かみなか庚申塔は富士見街道の二又交差点にあり、標柱には1803年建立と記されています。北の道が板橋区西台、徳丸方向、南の道(富士見街道)が、練馬 ふじ大山道への道の案内標識になっています。
富士見街道は旧中山道と環七通りの交点から、環七通りを西に進み、環七通り富士見街道入口交差点を右折して、現道として残る富士見街道に進みます。若木通りを過ぎると、かみなか庚申塔のある、二又があります。富士見街道はこの先、東部東上線踏切を渡り、練馬区との境界にある馬頭観音道標(北町1丁目)を過ぎると、旧川越街道に出ます。そこを右折して川越街道下練馬宿案内板の前を通りさらに進むと、環八通りに出ます。そこの南側歩道に下練馬の大山道道標があります。]
カメラ西北西方向がかみなか庚申塔です。
かみなか庚申塔(Google Map 画像)
かみなか庚申塔案内板(Google Map 画像)