庚申塔道標(志村第2公園)

マーカーは庚申塔道標です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年で見ると、熊野社左の三差路が庚申塔道標のある場所だと思います。

道標の庚申塔
[当公園内にある明和七年(1770)・文政十三年(1083)・明治二年(1869)の年紀のある三基の庚申塔は、それぞれ中台村の向台講中によって建てられたものです。庚申塔は、庚申信仰に基づき、その結果である講中の結願記念として各地でさかんに造立されました。
 なお、当所が、台地の縁に沿って区の東西を走る峡田(はけた)道と、中山道を志村二丁目七番地(ふじ大山道の追分)で分岐し、中台を抜けて練馬宿へと向かう富士・大山道(道者道路:富士・大山道の人々が利用するルート)が交差する地点であることから、三基の庚申塔は道標の役割を兼ねていました。
 このうち明和七年の庚申塔は「奉石橋建立庚申待ち講中二世安楽処」と記銘されており、石橋建立を記念して建てられたことがわかります。太田南畝(おおたなんぽ)が記した「異本武江披砂(ぶこうひしゃ)」の寛政九年(1797)の記事によると、当庚申塔の説明として、「小流あり、さかさ川といふ、川を渡って左右に分かれる道の辺りに小碑をたつ」とあり、この塔が、富士・大山道が出井川をわたった当所に、石橋の新築を記念して建立されたことがわかります。
 平成二十六年十二月    板橋区教育委員会]

[首都高速5号線の下をくぐって暗渠になっている出井川に沿って北に進むと前野町5丁目55番地に志村第2公園がある。公園の一角に庚申塔道標があり大山道の文字が刻まれている。
 板橋区前野町5丁目55 志村第2公園内
  山状角柱型   右面  右ハ はやぞみち(早瀬道)
    明和7年    正面  奉石橋建立庚申待講中
      1770年   左面  左ハ 祢里まみち(練馬道)
  駒 形       右面  向右 祢つはより吹上道
    文政13年            (根葉より)
      1830年   正面  賢人六手青面金剛像
             左面  向左 祢りまより大山道(練馬より)  (「清水坂上から練馬北町へ」より)]

カメラ北西方向、電柱左、フェンス傍に庚申塔道標と案内板があります。

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