文殊院(投込寺)

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文殊院(投込寺)
[江戸時代前期、延命地蔵を祀るお堂を寺院としたと伝えられている真言宗寺院です。本尊文珠菩薩坐像は寛文年間(1661~1673)の作と伝えられています。板橋宿本陣を勤めた飯田家の菩提寺で、墓地には、飯田静の墓や宿場の飯盛旅籠の一つ「大盛川」の墓などがあります。
飯田静の碑
板橋区登録有形文化財(歴史資料) 平成元年3月28日登録
 飯田静は、安永元年(1772)に板橋宿の本陣をつとめていた飯田新左衛門(義朗)の長女として生まれ、後に加賀藩六代藩主前田吉徳の七女祐仙院(暢姫)に仕えるようになりました。静は和歌を嗜(たしな)み、裁縫を得意とし、その人柄が閑雅であることから祐仙院に愛遇されました。
 しかしながら、寛政8年(1796)秋に病に罹り、暇乞いをして生家に戻り、翌年3月に25歳で亡くなりました。
 静の弟である飯田忠粛は亡姉の死を悼み、その業績を碑として刻み、菩提寺である文殊院に造立しました。忠粛は学問を好んだ人物とされ、碑文の選者を当時の詩文界をリードしていた儒学者の山本信有(北山)に、「亡姉阿静之碣」という題額の書者を持明院流の能書家で和学者として知られる幕臣屋代弘賢(やしろひろかた)に、彫刻を一乗寺台東区谷中)に住んでいた江戸随一の石工である廣瀬群鶴(ひろせぐんかく)に、それぞれ依頼しています。
 この碑は、板橋宿と加賀藩前田家との交流の一端を明らかにするとともに、宿場の人びとの教養の高さや、一流の学者・文人との交際を示す重要な資料といえます。
文殊院山門・画像リンク、飯田静の碑・画像リンク  (板橋区ホームページ)]

[板橋区教育委員会掲示による文珠院の縁起
真言宗豊山派、幡場山大聖寺と号す。本尊は文殊菩薩。 江戸時代初期、本陣飯田家の菩提寺として、古くから信仰を集めていた延命地蔵尊の境内をひろげて建立された。開山は寛永2年(1625)に入寂の権大僧都慶恵と伝える。天保6年に全焼し、安政以降正住職を置かず、赴任する仮住職も短期間で他の大寺へ転住し、出世寺とも呼ばれた。 山門脇に延命地蔵堂、境内に二大閻魔を祀る閻魔堂、足腰の守り神として知られる子の権現がある。閻魔堂内には、文化年間に番場原出土と伝えられる石棒が朝日観音として祀られている。墓地には史跡として有名な宿場時代の遊女の墓がある。本堂内には、板橋七福神毘沙門天が奉安されている。 飯田家墓地の飯田静の墓碑は昭和63年度に、また本尊文殊菩薩は平成元年度に板橋区の有形文化財に登録された。(板橋区教育委員会掲示より)  (「文珠院|板橋区仲宿にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [41]貮拾壹貞」(コマ番号2/10・地図右方向に文殊院が描かれています。)

文殊院 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が文殊院(投込寺)で、山門左に延命地蔵堂があります。また、地蔵堂手前に勢至菩薩の墓塔があります。

文殊院本堂前のカメラです。

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