マーカーは東福寺です。
東福寺
[東福寺の創建年代は不詳ながら、永禄5年(1562)僧良賢が中興、元禄4年(1691)大塚2丁目より当地へ移転したといいます。明治7年福蔵寺を合併、昭和14年に田端与楽寺末を離れ、長谷寺末となったといいます。境内には、福蔵寺が別当を勤めていた十羅刹堂を祀ってあります。
●豊島区教育委員会掲示による東福寺の縁起
真言宗豊山派に属し、観光山と号す。創建の年代は明らかでないが、永禄5年(1562)に良賢和尚が中興したと伝えられている。初め小石川大塚にあったが、元禄4年(1691)に当地へ移ってきた。本尊は十一面観世音菩薩であり、ほかに薬師如来がある。 山門前石段の左右には、道標の役割をも兼ねる明治37年の庚申塔、明治43年の疫牛供養塔などがあり、境内には山門脇に十羅刹女神を祀る堂がある。これは江戸時代、現在の大塚天祖神社の地に祀られ、巣鴨の総鎮守であった。しかし、明治の神仏分離令によって十羅刹女神は福蔵寺の所有となり、その後、福蔵寺が火災で焼失し、東福寺に合併したので、東福寺のものとなった。これは昭和30年まで大塚天祖神社に隣接した場所に置かれていたが、同年、東福寺の境内に移された。 墓地には守山藩(陸奥田村郡)の儒学者戸崎淡園の墓があり、甲冑帯刀した武士が床几に腰をおろした像を刻んだ遅塚九二八の碑もある。(豊島区教育委員会掲示より)
●新編武蔵風土記稿による東福寺の縁起
(巣鴨村)東福寺
新義真言宗、田端村與楽寺末、観光山慈眼院と號す、永禄五年良賢と云僧中興す、本尊十一面観音及び不動弘法大師の像を置。
地蔵堂。享保十二年七月八日入佛供養あり、立身木像の地蔵を安置す、堂内に十王阿弥陀の像を置。
三峯社。稲荷社。
(巣鴨村)福蔵寺
同宗同村(新義真言宗、田端村)東覺寺門徒瑠璃山薬王院と號す、本尊薬師。
十羅刹社。鬼子母神を合祀す、村内の鎮守とせり。
弁財天社。稲荷社二〇。 (新編武蔵風土記稿より) (「東福寺|豊島区南大塚にある真言宗豊山派寺院、豊島八十八ヶ所 猫の足あと」より)]
東福寺山門前のカメラです。